鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
148/625

って、神話が造形化されていく際に働いた社会的要請を浮かび上がらせたいと考える。1 問題の所在アッティカの墓標陶器とその図像の関係性は、個別作例のディスクリプション上で指摘されることはあるものの、体系的な研究が行われてきたとは言い難い。古代ギリシアの歴史において、埋葬地に墓標を立てる伝統は古くから存在し、陶器の一大生産地であり、また美術様式の発信地であったアテナイとその周辺のアッティカ地方では、青銅器時代から陶器を墓標に用いる伝統が確認される。詳しくは後述するが、前8世紀中頃、すなわち後期幾何学様式中期には、1mを超える大型陶器の墓標が用いられるようになり、これらの大型陶器には、哭礼図や出棺図といった葬礼にまつわる図が描かれるようになる。前8世紀のこれらの大型陶器は、図像が葬礼に関係していること、底に儀礼用の穴が存在すること、また墓域から出土することなどを根拠に、異論なく墓標陶器と解釈される。しかし前7世紀に入ると、前8世紀のような大型陶器の伝統は継承されるものの、図像には大きな変化が生じる。すなわち、前8世紀に描かれていた葬礼図像は、新たにギリシア各地でさかんに造形化されはじめた、神話表現の最初期例に取って代わられるようになる。通称《ニューヨーク・ネッソスのアンフォラ》〔図1:表21〕は、前7世紀の神話表現を有する大型陶器の代表的作例である。正面胴部にはケンタウロス族のネッソスとヘラクレスの戦いが大画面を用いて描かれている。他方、背面〔図2〕は、装飾文様のみが配されている。この明瞭な正面、裏面の区別は、前7世紀アッティカの大型陶器に多く見られる特徴である。このような、一方向から観られることを前提とするような装飾方法を根拠に、該当する前7世紀の大型陶器を墓標と見なす見解も存在する(注1)。しかしながら、先行研究では、これらの前7世紀の大型陶器が墓標である可能性が指摘されつつも、これに先立つ前8世紀の墓標陶器との連続性を考察する試みはほとんどなされてこなかった。上記の《ニューヨーク・ネッソスのアンフォラ》を含め、前7世紀の大規模作例のうちの数点は古代のうちに再利用され、出土コンテクストが不明瞭なものが多いためであろう。しかしながら、近年の考古学調査の進展によって、この分野の研究には新たな展開の可能性が生じている。本研究は、当該の時代の墓標陶器をめぐる先行研究を整理しながら、そこに現れる図像の変遷を明示する。前8世紀半ばから前7世紀にかけての墓標陶器を概観し、そこに現れる変化や継続性を明ら― 137 ―

元のページ  ../index.html#148

このブックを見る