鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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《エレウシスのアンフォラ》も、元来は墓標陶器であったと考えるのである。なぜなら、前7世紀のアッティカ陶器、通称プロト・アッティカ式陶器の優品は、アッティカ地方の郊外、あるいは外から発見されることが多い。今回の一覧表で言えば、19点のうち8点がアッティカ地方郊外、あるいは遠隔地から出土している。このことは、多くの作例が古代における輸出などを通じた移動、あるいは再利用を被った結果であると考えられる。各作例の出土状況についてはさらなる調査を必要とするが、筆者は現状ではホービー=ニールセンが可能性を示唆した29点は墓標であった可能性が高いと考えている(注7)。4 前8世紀の墓標陶器ここからは、一覧表を元にしながら時代順、陶器の器形ごとにその特徴をまとめていきたい。まず、29点のうち、前8世紀の作例が10点、前7世紀のものが19点である。⑴アンフォラ⑵クラテルクラテルは7点確認される。高さ108.5cmのニューヨーク・メトロポリタン美術館所蔵のクラテル〔図5:表7〕肩部には、上述のアンフォラと類似した哭礼の図が表され、ここでは男性の死者が表されている。この他に6点のクラテルで、同様の男性の葬礼における哭礼図、あるいは出棺の図が確認される。この陶器の下段には、戦車競走の行列が表され、この行列は途切れることなく裏面に続き、陶器胴部を一周している。その一方で、肩の哭礼図の裏面は蛇文様のような装飾で埋められており、先に挙げたアンフォラ以上に正面性が強調されている。前8世紀には3点アンフォラの墓標陶器が確認される。最も著名な作例であるアテネ国立考古博物館のアンフォラ、通称《ディピュロンのアンフォラ》〔図4:表8〕は、高さは155cmあり、底には儀礼用の穴が確認される。この陶器の肩部のフリーズには、棺台に乗せられた女性の死者と、それを取り囲む哭礼者たちからなる典型的な哭礼図が描かれている。一方、両把手を挟んだその裏面にも、小さなフリーズが存在しており、そこには正面の哭礼の参加者と思われる8名の男性が表現されている。すなわち本作では、一方の面の主題は他方の面にも連続しているものの、主たる情景は片面に置かれ、結果的に正面性が生じる装飾プログラムとなっている。またアンフォラに描かれている死者は女性に限られている。― 140 ―

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