鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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2.3 祭壇画の背景2.2 祭壇画の画面形式2.4 玉座の高さ「聖母子と聖人たち」の主題においては、多くの場合、聖母は玉座に座している。祭壇画の画面は、多翼/縦長/横長/正方形の4形式に分類できるが、この分析結果には、フィレンツェ派とヴェネツィア派において有意な差が見られた〔図2−1、図2−2〕。フィレンツェにおいては、1430年以降1500年代初頭までは、正方形、あるいは横長のパーラ形式が多数を占めているのに対し、ヴェネツィアにおいては、パーラ形式の祭壇画が登場する1470年代以降、一貫して縦長形式が主流である。この点については、Humfreyの指摘が一考に値する(注7)。Christa Gardner von Teuffelの研究が示すとおり、フィレンツェのパーラ形式は、ブルネレスキらが主導したルネサンス様式の教会堂において、ピラスターとエンタブラチュアを擁する古代風の枠に、正方形(あるいはわずかに横長)の単一画面を配したものとして成立した(〔図3〕データベースに採録した祭壇画で、この条件に当てはまる最初期のものは、フラ・アンジェリコによる《アンナレーナ祭壇画》である)。これに対してヴェネツィアでは、1470年頃、ジョヴァンニ・ベッリーニが同地のサンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂の祭壇のために制作した《シエナの聖カタリナ祭壇画》〔図4〕がパーラ形式の最初期の例と考えられている。Humfreyは、この聖堂が壮麗なゴシック建築であることに着目している。彼は、画面形式については指摘していないが、天を突くゴシック建築の聖堂という設置背景が、縦に長い画面形式を要請したということは、推測できよう。ヴェネツィアにおいては、この最初期の作例が、きわめて大きな影響力を持ち、以降祭壇画の定型として定着したと考えられる。祭壇画の背景は、金地/風景/開かれた建築/閉ざされた建築/その他の類型に分類できる。多翼祭壇画からパーラ形式への変遷は、金地の単色背景から、合理的な空間構成を持つ風景や建築背景への変遷とも重なる。〔図5〕にフィレンツェ、ヴェネツィアそれぞれにおける、背景の分布を示す。ここから読み取れるのは、ヴェネツィアにおける風景、あるいは風景へと開かれた建築背景への分布の偏りである。フィレンツェにおいては、両者を合わせた割合は50%であるのに対し、ヴェネツィアでは80%に達する。風景を擁する背景をヴェネツィア式パーラの特徴として上げることができよう。― 148 ―

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