と比較し、本絵巻の示す内容について改めて言及する。二河白道図と「破来頓等絵巻」各段の描写二河白道図そのものについて詳細な検討を行うことは本研究の段階では難しい。極めて簡略な確認であるが、二河白道図は、善導による『観無量寿経疏』「二河譬」を基本的な典拠とした掛幅画である。鎌倉時代以降、法然や親鸞の著作を通じて『観無量寿経疏』の内容が普及し、その内容を掛幅に仕立てたものが多数制作され(注7)、成立が中世期に遡る作例が複数現存する。貪欲・執着を波のさかまく水河に、憎悪を燃え盛る火河に、現世すなわち穢土における懊悩を二河に例え、その間に彼岸の浄土へと続く白道、そこを渡って行こうとする人物を描く。穢土には現世に生きる上での苦しみや仮初の快楽が、彼岸には浄土の荘厳な様が描かれ、遣迎の二尊、釈迦と阿弥陀をそれぞれ配する。画面下方に此岸、二河と白道、画面上方に彼岸という配置によって、「二河譬」に説かれる方位性を視覚的に表現し、信仰の在り方を説くものである。画面に描きこまれる現世の苦しみ、快楽を示すモチーフは、『観無量寿経疏』「二河譬」を厳密に絵画化するというより、より具体的な形に可視化され、説話性を有したものとして表現される。加須屋誠氏はこれらが「宗教的意味を伝達する語彙」として当時の人々に認められていた図様であったことを指摘している(注8)。例えば、現世の仮初の幸福・刹那的な快楽を示すものとして光明寺本「二河白道図」では火宅における管絃の遊びが描かれる。また光明寺本、香雪美術館本〔図4〕などの作例では、水河・火河の中に、それぞれの懊悩を象徴するものとして妻子(もしくは男女)と財宝、争い合う人々を描いている。二河白道図は特に浄土門の信仰によって、極楽浄土へと至ることが可能になると視覚的に訴える機能を有し、加須屋氏が指摘するように、画面中の様々なモチーフは鑑賞され、それぞれの意味を読み解かれる、絵解きされるものであった。本絵巻三段分の絵を改めて冒頭から見ていくと、まず一段では踊り出ていく不留坊と、悲しむ人々の姿がある。不留坊の両手は現在五指を伸ばした状態で振られている。しかし、指先は他の部分よりも赤味が強く、人差し指以外は指を折りたたんでいたことが墨線から確認出来る。本来は前方を「指さす」より強い方向性を示していたものが、後に指先のみ変更されたものと推定される。この本来のしぐさは、邸宅の中には箏や布の入った箱に象徴される豊かな暮らし、御簾の懸かった室内の端正な女性、縋― 158 ―
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