鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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細が描かれておらず、その図様は明らかではないが、二河白道図として理解されてきた。実際に時宗寺院に伝わった二河白道図としては、成立が中世に遡る作例として清浄光寺本や万福寺本が挙げられる〔図6〕。これらでは、釈迦と阿弥陀の二尊を大きく描き、反面白道を小さく、浄土、現世共に情景を示すモチーフを描きこまない。理由としては、前述の一遍の逸話をひき二河白道図の礼拝本尊としての性格が、時宗において重んじられたためと推測され、時宗の二河白道図に特徴的な傾向である(注13)。同時に、本絵巻に含まれるモチーフがむしろ時宗の二河白道図には見られないのであれば、先の指摘と相反するかのように思われる。しかしむしろ時宗では二河白道図が礼拝本尊として、二尊を大きく描きこむ表現を選択した結果、従来二河白道図に含まれていながら除かれたモチーフが、改めて本絵巻の中に取り込まれたと考える。加須屋誠氏は二河白道図が十二光箱の天板に表現されることで儀礼の場に「再引用」されていることを指摘しているが(注14)、時宗で行われる歳末別時念仏のうち「一ツ火」(注15)は、堂内に穢土と浄土を設定する。「報土役」と呼ばれる僧が間を渡した白道を通って火を灯し、周囲を照らすことで、往生と救済を表現するが、ここでは儀礼の場に留まらず、そこで行われる行為そのものより直截的に二河白道図を再現していることが注目される。時宗では二河白道図の礼拝がただ掛幅の画面を絵解きするだけに留まらず、多様な感覚を刺激する経験や行為として試みられたのであり、本絵巻はそのような二河白道図の受容と展開の中で、実践としての儀礼から取りこぼれたより具体的な説話性を持つ個々のモチーフを拾い上げるものとして機能したのではないか(注16)。本絵巻は、本来掛幅であった二河白道図の構想を絵巻という異なる形態によって展開した。その上で、詞書には明確な形で表出しないが、「不留坊」という固有の人格をめぐる説話的なコンテクストが、二河白道図を絵巻に引用する媒介としての役目を果たしたと言える。三段の絵は単純な誤りではなく、二河白道図中の浄土の表現を本絵巻の帰結点として表現する意図に基づいて、四段の内容を挿入したものと読み解いた。他方、阿弥陀仏と対向する不留坊の描写は、二河白道図に依拠するものではない。不留坊の姿は阿弥陀仏と同様蓮台に乗り、当初舟形光背を伴っていたことが確認できる。さらに現状では摺り消されているが、両者の間には六字名号が書かれていた。詞書の「こゑのなかに機法一体となる」を反映するが、阿弥陀仏とあたかも等しく並び立つかのような不留坊の様について、筆者は注⑷の論考で、時宗二祖・他阿真教の肖像画と重ねられることを指摘した。高宮寺蔵「他阿真教像」は蓮台に乗る他阿の姿を、それを拝する― 160 ―

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