鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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「破来頓等」を「やれことんとう」もしくは「はらいとんとう」、どちらと読むのか、明確な結論が出ている訳ではない。本論は絵巻の性格を考慮するならば「はらいとんとう」、「「速やかに何もかも捨て去れ」との説諭を象徴する語」だと指摘した注⑵の山本氏に基本的に同意する立場に立っている。いずれにせよ詞書が実際に音として「読まれる」ことを強く意識したとの視点は、双方に共通する。またこのような詞書の性格は、本来絵巻の詞書となることを目的としてテクストが創案された訳ではないことを示唆している。⑷拙論「「破来頓等絵巻」をよむ─「不留坊」発心と往生の表現─」『「もの」とイメージを介した文化伝播に関する研究─日本中世の文学・絵巻から─ 平成19−21年度 科学研究費基盤研究■ 研究成果報告書』千葉大学大学院人文社会科学研究科、2010年、120−124頁⑸二段では、「妻子諸財寳、身に縛成て、生死にとゝまりたる躰をみよ」という詞書の表現が、責め苦を受ける名聞家という表現に結びつく。さらに一段詞書に「名聞関の戸かたくとち、利養のくるゝ木をさしたれは、有躰の家にとゝまるをや」とあり、名聞家の足が結ばれている門が閉められ、閂が渡されている表現との関連性が想起される。⑹面貌の表現については、額に緩やかな孤を描き扁平な頭頂を表すこと、下がり気味で開いた瞳、下方に向かって膨れた輪郭が「名聞家」にも共通することから、本絵巻では「不留坊」=「名聞家」として表象し、一貫して「不留坊」をめぐる物語として絵巻が展開していると筆者は判断する。一段に登場する従者らしき男性の類型的な面貌と比較しても「不留坊」と「名聞家」の面貌表現は画一的な表現を避ける意図があり、同一人物を表象していると考える。⑺参照:中村元『仏教美術事典』東京書籍、2002年、681−682頁。二河白道図については、『観無量寿経疏』「二河譬」に厳密に依拠しているだけでなく、それ以外の経典・思想についてもモチーフに影響を及ぼしている。この点については、注⑻に挙げた参考論文等を参照されたい。⑻加須屋誠「二河白道図試論─その教理的背景と図像構成の問題─」『仏教説話画の構造と機能此岸と彼岸のイコノロジー』中央公論美術出版、2003年、55−100頁この他、二河白道図の図像典拠に関しては、仙海義之「研究資料 二河白道図―テクストとイメージの源流を探る(上)」、『国華』第1398号、2011年、42−54頁、及び、同氏「研究資料 二河白道図─テクストとイメージの源流を探る(下)」『国華』第1398号、2011年、42−50頁などを参照した。⑼二段前半部について、紅葉は一段の桜の表現と対応して「時間の経過」を示すのではないかという指摘もあり(注⑵山本氏論文)、二段後半部分よりも一段の絵との関連性が強いように思われる。「西行物語絵巻」には西行が旅の中で訪れる様々な隠棲の場として板葺きの簡素な庵室が山奥の流水のほとりにある様が繰り返し登場する。「拾遺古徳伝絵」など高僧伝絵でも、隠遁の住まいの表現は類似し、「流水のほとりの庵室」は、遁世者を示す一定型として中世社会に浸透していた表現と言える。また後述するように、「一遍聖絵」にもこれに類似する表現がある。紅葉の表現は一段の絵と連続しており、発心後の隠遁生活を時間の経過とともに表した場面だったのではないかと推察する。⑽本絵巻では三段に「善導の疏尺を横竪無碍によみ」とある他、計4回善導の名に言及している。法然や親鸞と同様、一遍においても『観無量寿経疏』は積極的に受容されるものであったと考える。⑾「一遍聖絵」詞書については、小松茂美編『日本の絵巻20 一遍上人絵伝』中央公論社、1988年所収の釈文に基づく。― 162 ―

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