研 究 者:東京大学大学院 人文社会系研究科 博士課程 佐 藤 有希子はじめに ─問題の所在─本稿では、ホータン地区ダマゴウ遺跡トプルクドン一号仏寺址から出土した毘沙門天像壁画(以下本像と記す〔図1〕)について、その図像上の特質を論じ、歴史的位置づけを明らかにする。毘沙門天は、古くはインドで四天王の一として成立し、その中でも最も高位の存在として、のちに独尊で信仰されることも多かった仏教尊格として知られる。原始的な図像の源流については田辺勝美氏や宮治昭氏などの研究により、3〜4世紀頃にパキスタン北部のガンダーラで誕生したことが明らかにされてきているものの、その後どのような過程を経て発展・変貌し、中国やわが国に伝播したのか、図像変遷の全貌については未だ解き明かされていない。なかでも「兜跋」毘沙門天の名称で知られる特殊な形式の毘沙門天像については、従来数多くの先行研究が積み重ねられているが、早期の造像例が少ないことから図像的源泉についての結論は保留されてきた。また、その図像はおおよそ中央アジアで発祥したものであろうとする見解が多く認められる中、近年は中国の吐蕃(チベット)美術研究者達によって、その図像が吐蕃人に影響を受けて発生したものであるという主張もなされており、議論は一層複雑な様相を呈している。近年発見され、発掘報告書や図録が発行されたことで広く知られるようになった本像は(注1)、毘沙門天図像の起源をめぐって膠着した感のある研究状況を打開するきっかけになるのではないだろうか。以上の問題点を踏まえ、本像の図像的特質を中心に論じることで現段階の研究の進展状況を整理してみたい。なお筆者は2012年9月、ダマゴウ遺跡で作品を実見する機会を得、それが毘沙門天像研究において根源的な問題を提起する作品であると考え、本稿で報告することとした。一、概要2000年から現在に至るまで、中国・新彊ウイグル自治区策勒県ダマゴウ(Damago)において、トプルクドン(Topulukdong)などの仏教遺跡群が相次いで発見され、ダマゴウ地区の大型仏教建築遺跡は20カ所近くにものぼることが明らかとなった〔地図1〕。同遺跡は和田地区ないしはタクラマカン砂漠地域にのこる仏教寺院遺跡として― 167 ―⑯西域の守護神─中国・ホータン地区ダマゴウ遺跡トプルクドン一号仏寺址出土 毘沙門天像壁画に関する一考察─
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