鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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最も数が多く、また最大規模・最良の保存状況を誇るものとして注目されている。策勒県は新彊ウイグル自治区の南西に位置する和田地区の中東部にあり、南は崑崙山脈、北はタクラマカン砂漠に接する〔地図2〕。ここ十数年の間に、中国社会科学院考古研究所新彊考古隊により、ダマゴウ水系の南北に沿ったダンダン・ウイリク(Danda_ulik)古代集落遺跡群の周囲100キロ圏内で、カラカルガン(Kalakalgan)、トプルクドン、カラドン(Karadong)、アバスドン(Abasdong)など20カ所あまりの仏教建築遺跡群の発掘調査が行われた。ちなみにこのあたりは、11世紀初頭にイスラム勢力に征服されるまで仏教国として発展した于眞国の故地として知られる。本稿で取り上げるのは、その中のトプルクドン一号仏寺址から出土した毘沙門天像壁画である。2000年に発見された一号仏寺は、6〜7世紀頃に建立されはじめ、10世紀末には廃寺となったと考えられている。タクラマカン砂漠地域において今まで発見された仏教寺院の中でも、建築形式・彫塑作品・壁画ともに最も保存状態が良く、とくに壁画は同地域中最大の面積が完好な状態で遺される。同寺址はダマゴウ郷の郷政府から東南に約7キロ離れた荒涼地帯に位置しており、現在は一号仏寺遺跡を覆うように建てられたダマゴウ仏教遺跡博物館が設立されている。二、図像上の特徴とその重要性さて、同寺南壁に描かれていた毘沙門天像壁画について述べる。一号仏寺は一辺約2メートル四方の堂宇によって構成され、南向きに開口部を持つ〔平面図〕。北側中央に塑造如来坐像を安置し、内壁の四周に壁画を描く。西・北・東壁には如来立像をそれぞれ二体描き、南側の開口部両脇には、西側に毘沙門天立像、東側に女神立像〔図2〕を描く。毘沙門天は像高約140センチで、下半身部分のみ堂壁に残存しており、上半身部分は遺跡中から発見された。いま上下を合わせた状態で見ると、楕円形の台座の上に立ち、左腕を曲げて手に持物(戟か)をとる。右肩先は欠失。鳥の姿が中央にあらわされた宝冠を戴き、耳環をつける。口をやや開き、上歯を出す姿である。服制は、襟元に胸飾をつけ、縁に唐草文をあらわした半袖のチュニック状の衣を身に着け、裙、沓を履く。腰前にU字形に天衣を垂らす。足元に角の生えた牡鹿を一匹従えている。前述したように、従来いわゆる「兜跋」毘沙門天については、その図像の源流がどこにあるのか議論の決着はついていない(注2)。宮治昭氏、田辺勝美氏の研究により、その原始的な図像はガンダーラ地方で誕生したことが明らかにされている(注3)。しかし、中国やわが国で頻繁に制作された独尊の「兜跋」毘沙門天の姿とガン― 168 ―

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