序研 究 者:お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科 研究院研究員本論では、フランスにおけるアール・デコ期の装飾において、日本という要素が具体的にどのように現れ、どのように受容されたか、その一端を、当時パリで活躍した横浜出身のオキン(O’Kin)ことウジェニー・ジュバン(Eugénie Jubin 1880−1948)〔図1〕の事績を通して考察する。オキンは主に象牙や角、ときに黒檀や珊瑚といった、いわゆる高価で希少な素材を用い、日本を含むアジアを強く意識させる装飾小物を数多く制作した。これまでほとんど知られてこなかったが、それらはアール・デコ様式で整えられた室内を飾るにふさわしい装飾品として、積極的に受容されていたことが当時の批評から見て取れる(注1)。フランス国籍を持つオキンは、フランス人と日本人の両親のもとに日本で生まれ育ち、フランスで活動した女性である。こうした立場の者は、フランスでは「日本人」として、日本では「フランス人」として見なされ、どちらの国にとっても主要な研究対象になりえず周縁化されてきたといえる。しかしながら、日本の伝統工芸という枠組みをこえて、フランスの装飾芸術の実践の場で、いわゆるデコール・モデルヌの実践者として活躍し、さらに今日のアール・デコ愛好家たちの収集の対象ともなっている(注2)、という「日本人」装飾家はほかに例をみない。こうした作家の業績を日本においても記録に留めておくことは必要であろう。フランスのアール・デコと日本の関係は、これまで、宝飾・服飾品や陶磁器への影響関係、漆という技法を通しての日本への関心などが適宜指摘されてきた。しかし、当時の批評に目を通すと、日本的要素に関しては、そのほとんどが「極東」という言葉で括られており、そのことの意味を含め、フランス側の認識が実際にどのようなものであったかが詳細に検討されてきたとは言い難い。本稿はこの点を補おうとするものである。オキンは1900年代後半から活動し始め、アール・デコ全盛期の1920年代半ばに円熟期を迎え、1930年頃まで活躍した。時代の要求に巧みに応えたと思える彼女の作品や批評を検討することは、フランス側の「日本的要素」に対する意識、延いては「装飾芸術」における自国(フランス)の立場に対する意識を探ることになる。本稿ではまずオキンの生い立ちを述べ、その後作品と批評を三つの時期に分けて考― 192 ―味 岡 京 子⑱アール・デコにおける「日本人」装飾家オキン(O’Kin)の受容とその背景
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