鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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1910年頃にはオキンがすでにこのタブレットリの分野で注目されていたことが、雑誌記事だけでなく、当時パリを訪れていたデンマーク出身の女性ジュエリー作家による「この頃パリでは日本人女性オキンが活躍していた。彼女の生徒になる機会を得る幸運に恵まれた」という報告からも見て取れる(注4)。1920年代のアール・デコ全盛期になると、より簡潔に様式化された作品が目立つようになっていく。同時にフランス人陶芸家の夫アンリ・シメンとの共作による作品が増えていくのだが、その傾向はとりわけ1925年以降に顕著となるため、単独の作品を第二期、共作の作品を第三期として考察する。単独の作品に関しては象牙による作品がその大半を占めるようになる。この頃から展覧会に出品した作品が相次いで国に買い上げられており、その一部が現在パリのオルセー美術館に常設で展示されている。たとえば、金の装飾が施された角による蓋が付いた「棗」を想起させる形状の《茶器》〔図2〕、一見日本の鹿の子文様にも見える金鋲による割り付けが施された幾何学的な形状の《砂糖菓子入れ》〔図3〕、底部に金鋲による装飾が施された《蓮の蕾》と題された象牙製壺〔図4〕などを挙げることができる。いずれも5cmから10cmほどの小さな作品であること、フォルムはシンプルだが金を用いた繊細な装飾が施されている点が特徴である。とりわけ金鋲を用いた装飾はこの時期のオキンの作品に頻繁に見られるものである。これらの作品に対する評価は、「オキン嬢の細やかな手」「仕上げの完璧さ」「彼女の民族の最も優れた伝統」「美しい名を持つオキン嬢」「非常に凝った細工」「愛らしい置物」「日本女性の手先の器用さ」「光琳の同時代人達のうち最も好みのうるさい者をも満足させる」といった言葉に概ね集約される(注5)。すなわち、作品の小ささゆえに要求される手先の器用さや繊細さといった要素が注目され、そのことが、「オキン」という雅号が象徴する日本と関連づけられている。さらにここで注目すべき点は、アール・ヌーヴォーの名残はあるものの、作品それ自体はほぼアール・デコ様式と呼べるシンプルで幾何学的なフォルムに移行しているのだが、それに対し、「光琳」という語にも示されているように、日本の伝統工芸を語る際に従来用いられてきた語彙と共通の語彙で評されている点である。3.第二期:1920年代(アール・デコ全盛期)─「単独」の作品たとえば、一見簡素だが内側に金鋲による鹿の子文様を思わせる蓮文が施された蓮の花を様式化した形状の《鉢》〔図5〕、伝統的唐草文様をさらに単純化した装飾が施された《鉢》〔図6〕、様式化された雲をさらに幾何学的に再構成し直した文様(日本― 194 ―

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