の伝統的な霊芝雲のような文様となっている)が施された《蓋付壺》〔図7〕などを挙げることができる。いずれも日本や中国の文様を幾何学的に構成し直した装飾となっている。象牙という素材は、根付の人気やその細工の質の高さから、日本や中国を意識させる素材ではあったが、西洋でも古くから装飾品に用いられており、とりわけ植民地アフリカから供給される素材だったこともあり、アール・デコ期においては、エキゾティズムを醸し出す重要な要素として黒檀や鮫皮とともに家具の装飾に用いられるなど流行の素材となっていた。オキンはこの象牙のエキスパートとして地位を確立していった。なかでもこの時期を代表する作品として挙げることができるのが、1925年にパリで開催された「現代産業装飾芸術国際博覧会」(通称アール・デコ博)に設けられた「コレクショヌール館」に出品された作品〔図8〕である。「コレクショヌール館」とは、アール・デコを代表する装飾家ジャック=エミール・リュールマンによって構成されたパヴィリオン〔図9〕で、フランスの伝統を強く打ち出しながら、シンプルなフォルムによる現代性と、材質やモティーフから醸し出されるエキゾティズムが混在するこの博覧会の主流ともいえる様式が示された重要なパヴィリオンの一つとして位置づけられている(注6)。この「コレクショヌール館」の「大広間」にオキンによる小さな象牙の壺〔図8〕は展示されていた(注7)。ここで、25年前後のオキンに対する批評を見てみたい。先述したように、この時期には日本的要素のほとんどが「極東」として括られるようになっていた。このこと1910年代のオキンの象牙作品を特徴づけてきた金鋲による装飾はここでは消えている。代わりに、象牙を彫ることによって現れる簡潔な線が際立つ作品となっている。壺の周囲に花弁文(蓮弁文)を巡らす中国の伝統的手法に想を得た意匠ともいえるが、ここではさらに、より広範なアジアを想起させ得る作例となっている点も指摘したい。制作年不明だが、蓮華座で瞑想するポーズを表したオキンによるデッサン〔図10〕が残されている。ここには〔図8〕の作品に関連づけることが可能なフォルムと線が見てとれる。女性の姿で表される多羅菩薩などを着想源としていると思えるこのデッサンは、たとえばパリのギメ美術館が所蔵するカンボジア(当時フランスの植民地)の彫像〔図11〕にも類似点を見出せるものである。つまりオキンは、日本に留まらないより広いアジア的要素にも目を向けていたのではないかと考えられる。〔図8〕の壺は、そうしたある種ハイブリッドなアジア的エキゾティズムのイメージを、モダンなものに変容させ抽象化することに成功した作例といえるのではないか。― 195 ―
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