鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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したがって、この時期にはまだより装飾的な様式が求められていた。こうした状況の中で、シメンの炻器にオキンが手を加えた作品が数多く制作され人気を呼んだ。〔図14〕は、1980年代に刊行された『1925年から1947年、フランスにおける陶磁器』の表紙カバーである(注13)。野菜を思わせるシメンによる炻器の壺に、蔓を思わせるオキンによる渦巻き状の黒檀製蓋が付いた作品が取り上げられている。オキンは共作ではおもに、蓋、把手、ときに台座の装飾を担当した。〔図15〕は1972年刊行の『メトロポリタン美術館紀要』に収録されたエッセイ「アール・デコ、ラスト・フラー(有終の美)」(注14)における挿図の一つである。同館所蔵の共作による作品、植物モティーフによる象牙製蓋付の壺が、アール・デコの代表的装飾家アンドレ・マールのデザインによるテキスタイルと合わせて紹介されている。これらの事例が示しているように、共作の作品は、とくに後世の目から見たアール・デコ様式の作例の典型として欧米では認識されている。このことは、二年に一度パリで開催される古美術商ビエンナーレでの近年の状況にも現れている。たとえば2012年には、アール・デコを扱う有力な画廊の一押し作品として共作による作品が多数出品され、〔図16、17〕のように、同年刊行された美術雑誌で一斉に取り上げられた(注15)。共作でのオキンは、自然に極力手を加えず、なおかつ、その自然をシンプルなフォルムに抽象化する装飾を目指している。たとえば、〔図18〕のような、珊瑚本来の形をいかしながら、単純化された鳥を表した作品などはその典型であろう。共作では、日本や中国のモティーフだけでなく、アジア象〔図19〕や幾何的・抽象的モティーフ〔図20−22〕まで見られ、イメージ的にはさまざまだが、その異種混交性が、単純なフォルムと明快な色彩に還元されて実現されているという、まさにその点がアール・デコ様式の典型とみなされ、現代の受容に至っているといえよう。一方で30年代に向けて装飾品がより簡素なデザインへと移行していく中で、日本や中国の影響を強く受けたフランス人の作り手に対して、「極東の影響のようだが、実はフランスの伝統なのである」とするような批評が見られるようになってくる。たとえば、オキンと同じタブレットリの分野でアール・ヌーヴォー期から活躍し、日本の影響が指摘されてきた作り手にジョルジュ・バスタールがいる。〔図23〕は1910年代の明らかに日本の影響がみられる作品、〔図24〕は幾何学的意匠によるアール・デコ期の代表的作例である。このバスタールに対して、「なぜジョルジュ・バスタールを常に日本風と関連づけようとするのかを私は知りたい。(省略)彼は祖国フランスのエスプリと趣味をもって、フランス風に扱っているのである」という言及がなされている(注16)。この傾向はオキンの夫シメンに対する評にも及んだ。そこでは、シメ― 197 ―

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