鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
217/625

隷属状態を強いている。我々が持つ自由という偉大な遺産を守ることができるかどうかは、我々一人一人の行動にかかっている」と氏は語った(注9)。また別の批評では、建築彫刻という一般大衆に開かれた本作の表現媒体の特徴が、近代建築が疎外する人間性を建築に回復させる手がかりとして評価されている(注10)。このように、当時の批評で本作は、アメリカのナショナル・アイデンティティを構成する「自由」や「民主的」といった観念と結びつけて評価された。2.コンペティションにおける評価基準まず1938年のコンペティションにおいて本作が評価された点について、雑誌『ペンシル・ポインツ』に図版付きで紹介された他の出品作例との比較から検討する(注11)。最初に、ノグチと2位に入選したジョン・タッシェルの作品を、3位のジョセフ・フレリ及び選外の作例と比較する。まず、タッシェルの作品には、左上から右下に向かって画面全体を覆うように、電話、テレビカメラ、メモパッドと筆記具、カメラ、テレタイプを操作する人々、テレタイプの大きな機械、その下に新聞を読む人々と新聞を売るニュース・ボーイの姿が描かれる〔図3〕。従って、ノグチ同様タッシェルは、取材機器等「ニュース」に直接関係する事物を手にした人々の姿を表すことで、このテーマに取り組んだと言える。一方、3位に入選したフレリ及び同誌上に確認できる選外の作品は、裸体に近い女性の身体を中心に据える伝統的な寓意像によって「ニュース」を図案化している。まずフレリの作例には、両手を耳にかざし雲の上に立つ女性像を中心に、計9名の男女の人物が、太鼓、新聞、旗等を手にした姿で表わされる〔図4〕。また選外のグウェン・ルックスの図案には、「空気」「水」「大地」を示す3人の裸体の人物が人々に「ニュース」をもたらす様が〔図5〕、アンドレ・ドゥランソーの作例には、「ニュース」という文字を掲げ持つ女性裸体像を中心に4名の男女像が表わされる〔図6〕。これらはいずれも擬人像を用いた「ニュース」の寓意的な図案化と考えられるが、西洋美術史に「ニュース」の擬人像の先行するイメージが存在しないため、いずれの作例においてもその「象徴性は説得力を欠いている」(注12)。これとは対照的に、ノグチとタッシェルの作例は、最新の取材機器とそれを用いる人々という「ニュース」に直接関係する事物を配することで、「ニュース」という抽象的なテーマをより直截に図案化する。また、そこに描かれる人物は、フレリやドゥランソーのような理想化された古典的身体ではなく、直線を多用し半ば抽象化され― 206 ―

元のページ  ../index.html#217

このブックを見る