研 究 者:愛知県陶磁資料館 学芸員 長 久 智 子はじめに高度経済成長期の日本において、国立デザイン指導機関であった通商産業省工業技術院産業工芸試験所(注1、以下「産工試」と略称する)は1956年度から1970年度の15年間にかけて、「外人(ママ)意匠専門家招へい計画」を実施した。これは欧米各国の工業デザイナーを招聘して講習会を開催することで、日本のデザイン水準の向上、産業の発展、輸出の振興等を図る目的があった。特にデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドといった北欧諸国の工業デザインは各国の志向やデザイナーの個性を生かしながらも外国市場進出においては密接な協力連携を保ち、「北欧デザイン」という一大ブランド・イメージを形成し、北米市場をターゲットとしたデザイン製品輸出を行っていた。伝統的手工芸・工業技術・優れたデザイン感覚の融合から生まれる「北欧らしさ」は、同様に欧米市場への工業製品輸出を目指し、デザイン特性としての「日本らしさ」を模索していた戦後日本の工業デザインのロール・モデルと捉えられた。こうした北欧デザイン研究の必要性から1958年度に招聘されたのが、フィンランド人工業デザイナー、カイ・フランク(1911−1989)である。本稿はフランクの3度の来日内容、および日本人デザイナーや工芸作家との交流を概観した上で、1956年に来日したスウェーデン人デザイナー/陶芸家:ヴィルヘルム・コーゲ(1889−1960)、1959年に来日したスウェーデン人陶磁器デザイナー:スティグ・リンドベリ(1916−1982)らの交流内容と比較を行う。そしてフランクのデザインにみる無名性がスウェーデンを発祥とする北欧モダニズムの原思想であること、またそれは近代日本が「民藝」の名で再評価した無名デザインの普遍性と本質で共通するものであること、それこそがフランクの日本への終生変わらぬ共感の源であり、北欧モダニズムと民藝思想の共通項であることを結論とする。本考察に近接する先行研究では産工試の意匠部長を務め、工業デザインにおけるナショナリズム的な思想を「ジャパニーズ・モダン」という言葉で表現した剣持勇(1912−1971)について森仁史編『ジャパニーズ・モダン 剣持勇とその世界』(国書刊行会、2005年)が重要である。先行研究を踏まえ、またスウェーデン国立美術館のヴィルヘルム・コーゲ・アーカイブでの調査をはじめとする考察の結果からフランク、およびスウェーデンを代表するデザイナーたち2人の来日の全体像とその意味、民藝思想との思想的共通点について論を進める。まず、以下ではフランクの機能主義的な― 216 ―⑳カイ・フランクのプロダクト・デザインと民藝運動
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