鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
233/625

⑺Lunning Prizeはデンマークの銀食器メーカー:ジョージ・ジェンセンのNYエージェンシーであったフレデリック・ルニングの創設した賞。1951年から1970年にかけて2年に1回、スカンディナヴィアの優れたデザイナーへ贈られた。1956、pp. 27−28.2009年、pp. 50−69、pp. 157−172.図版クレジット図1 Hintaluettelo: Talousposliineja, Helsinki: Arabia, 1936, p. 69図2 Talousposliini ja-Fajanssi, Helsinki: Arabia/Wärtsilä-Yhtymä O/Y, 1959−1960, p. 161図3 Kaj Franck: Universal Forms, Designmuseo, Helsinki, 2011. p. 79図4 Wilhelm Kåge, Nationalmuseum utställningskatalog nr 520, 1989, p.7図5 Päivi Jantunen, Kaj & Franck: Esineitä ja lähikuvia, wsoy, 2011. p. 21図6 FORM, 7月号、Stockholm: Svenska Slöjdföreningen、1956図7 展覧会図録『北欧のスタイリッシュ・デザイン─フィンランドのアラビア窯』(滋賀県陶芸⑷Gregor Paulsson, Vackarare Vardagsvara, Stockholm: Svenska Slöjdföreningens, 1919, pp. 22−23. なお英語版にはDavid Jones, “Better Things for Everyday Life”, Modern Swedish Design: Three FoundingTexts, New York: The Museum of Modern Art, 2008. がある。⑹Tapio Yli-Viikariによれば今日ではよく知られたこのマニフェストは業界誌Kaunis Kotiに掲載された1949年のカイ・フランクのエッセイ「美の探究」が初出という。(「フィンランドのデザイナー、カイ・フランクと日本民芸の心」『北欧のスタイリッシュ・デザイン─フィンランドのアラビア窯』展覧会図録、滋賀県陶芸の森陶芸館ほか、2005−2006、pp. 157−163.)⑾Noriko Otsuki(大槻倫子), “Kaj Franck and Japan”, Kai Franck: Universal Forms, Helsinki:Designmuseo, 2011, pp. 120−129.にアーティストを産業の現場でデザイナーとして雇用することを推進した。⑸「(前略)デザイナーとは大衆に奉仕するものであり、医者と同じく社会大衆からその仕事を任されている。その責任は洵に重い。(後略)」藤森健次「フィンランドのデザイナー カイ・フランク」『三彩』1月号、三彩社、1959、p. 27.⑻「不断使いにするもの、誰でも日々用いるもの、毎日の衣食住に直接必要な品々。」柳宗悦『民藝とは何か』昭和書房、1941年(再発行:講談社、2006年、p. 21.)一般市民が日々使うものを民芸品と柳は定義した。⑼「カイ・フランク デザイン講習会報告」『工芸ニュース』26−10、工業技術院産業工芸試験所編、⑽芳武茂介「カイ・フランクと共に中京と京都の旅」『工芸ニュース』27−1、工業技術院産業工芸試験所編、1959、p. 13.⑿前掲注⑾⒀式場隆三郎「スカンセンの一夜」『工藝』第70号、1939、pp. 18−22.⒁“Wilhelm Kåge i Japan”, FORM 10月号、Stockholm: Svenska Slöjdföreningens, 1956, pp. 256−259.⒂“Japan och Plagiatfrågan”, FORM9月号、Svenska Slöjdföreningen、1960、pp. 562−566.⒃「昭和34年意匠法の改正」「産業デザイン時代の到来」『意匠制度120年の歩み』特許庁意匠課、⒄剣持勇「ジャパニーズ・モダンか、ジャポニカ・スタイルか─輸出工芸の二つの道─」『工芸ニュース』22−9、工業技術院産業工芸試験所編、1954年、pp. 2−7.― 222 ―

元のページ  ../index.html#233

このブックを見る