4.作品の変遷と新出作品の紹介調査の許された有年紀作品に基づいて考えていくと、著色画・水墨画とも宝暦5年(1755)ころをひとつの画期と見なすことができる。これ以前は「墨竹花卉小禽図」(寛延3年(1750)、個人蔵)や「松鷹小禽図」(宝暦3年(1753)、神戸市立博物館)のように、画面を斜めに横切る枝振りなど、モチーフが画面全体にわたっている作品が多い(注10)。構図が単調で、硬質なものが多いのも特徴である。これ以降は左右どちらかにモチーフを集約して、余白を活かした絶妙な構図をとる作品が多くなる。モチーフの複雑な組み合わせによる大胆な構図が目を引く。とりわけ、「牡丹綬帯鳥図」(明和6年(1769)、神戸市立博物館)〔図2〕や「花鳥雑画押絵貼屏風」(安永7年(1778)、長崎歴史文化博物館)など、著色画・水墨画ともに優品が多い(注11)。また、著色画に関しては、時代が下るにつれてモチーフの取捨選択が上手くなっていく。初期のころは花、鳥、木、石などいろいろなモチーフを密に描いており、全体のバランスが取れているとはいえない作品も見受けられるが、宝暦年間に入ると徐々にモチーフを限定し、かつ構図もまとめるようになる。そのひとつの頂点が「牡丹綬帯鳥図」といえよう。ちなみに、今回の調査では、興味深い作品に数多く出会うことができた。なかでも、おそらく未紹介と考えられる作品について、簡潔ながら触れておきたい。「梅柳叭々鳥図」(絹本墨画、個人蔵)は縦長の対幅で、右幅は丸々とした月が照らすなか、梅樹から飛び立つ叭々鳥、左幅には雪の積もった柳樹にとまる二羽の叭々鳥が描かれている〔図3〕。梅樹から飛び立った叭々鳥は柳樹にとまる仲間のもとを目指しているのだろうか、ともに視線を交わしている。上から下りる梅樹の幹と、下から上へ伸びる柳樹の幹もそれぞれの叭々鳥に呼応するかのようなかたちをしている。垂れ下がる梅樹と柳樹の枝ぶりも視覚的に連動しているかのごとく思われる。背景には薄墨を刷き、部分的に余白をのこすことで霞のように表されている。叭々鳥は黒い羽に青系の色が含まれているようで、非常に光沢のある質感となっている。絹本とあいまって、まるで本物の羽毛かと錯覚するほど美しい。右幅には「確亭光」、左幅には「癸巳初冬示/寉舩冨君/寉亭道人光」の款記、印章は「五字菴」(朱文方印)「浄光之印」(白文方印)、遊印は右幅に「如窓」(朱文楕円印)、左幅に「画禅」(白文長方印)がある。安永2年(1773)に寉舩冨君という人物のために描かれたことが判明する。寉舩冨君なる人物の詳細は不明だが、鶴亭の弟子には鶴洲・鶴林と「鶴」がついていることから、弟子の可能性が考えられる(注― 231 ―
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