鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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6.おわりにすものである。わたしがこの蘭図巻をひろげ見たところ、筆力はしなやかかつ力強く、墨色はあふれ出てきている。そのさまは凛として風を迎え、しなやかにして露を帯びるかのごとくほど美しい。この蘭図巻には、倚石懸崖したり、映日籠烟したり、含香競秀する蘭図が描かれている。いくつもの葉がひらひらと連なるさまは鳳凰の眼や鼠の尾のようであり、花やがくが自由に伸びるさまは空を燕が飛び、蝶が舞うかのようである。また、あらゆることを消え入るうちに是非の外に忘れてしまい、画を揮毫するにいたるのは鶴亭ならではのことである。ほかの画家たちが描く蘭図を見るに、取るに足らない鳥の羽のようであり、鶴亭の蘭図とは雲泥の差がある。誰もが鶴亭の蘭図をよく楽しみ、その画を見ると楚の屈原が「離騒」で詠んだ蘭を九畹植える故事の興を発することであろう。鶴亭の蘭図はなんとも愛でるべきすばらしいものであるゆえ、この題を書いた。悟心が見た作品は巻子装で、ひろげ見るとさまざまな蘭図が眼前に現れたことと想像される。鶴亭の蘭図巻、悟心の題とも制作時期は特定できないが、悟心は蘭を絶妙に描く鶴亭に対する賛辞を綴っている。その言葉には、悟心が鶴亭に抱く強い思い入れが感じられ、興味深い。以上、鶴亭の画業に関する研究として、調査の許された作品を中心に款記と作品の変遷、新出作品と文献資料の紹介を行ってきた。洗練された色彩の美しさ、水墨の筆遣いの大胆さ、かたちのおもしろさ、奥行きの少ないフラットな空間にモチーフを絶妙なバランスで配置する構図感覚など、鶴亭画の魅力を挙げればきりがない。今回の調査研究を通して、その魅力に一層ひきこまれた次第である。とりわけ、鶴亭の款記・印章には驚かされることが多かった。大胆かつ絶妙な款記・印章の位置を選べるのは鶴亭自身だからこそであり、作品基準のひとつともなり得よう。特定の画題を描く際に、関連した漢詩を引用した印章を用いる点も興味深い。鶴亭の印章はおよそ80種と数も多く、同じ内容の印文でもいくつもパターンがあり、今後整理が必要である。また、鶴亭の作品の多くは掛幅や巻子であり、それらも大きなものは少ない。屏風も数は少ない上、そのほとんどが押絵貼である。大画面作品が少ないという形態上の特徴も検討すべき課題である。一方で、実見できていない作品も数多いため、本研究が十分な考察とならなかった― 233 ―

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