鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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注⑴成澤勝嗣「学芸員のノートから30 画僧・鶴亭の変貌」『博物館だより』No. 30、神戸市立博物点は否めない。特に、鶴亭は「上方に一番初めに南蘋風を伝えた画家」として同時代から語られ続けながらも、その画風は沈南蘋とはどこか距離を感じてしまう。南蘋派とみなすことに違和感を覚えてしまうのは筆者だけではないだろう。その違和感を解消するためには、鶴亭がどのような絵画を見て、学んでいたのかを明らかにしていく必要があるだろう。どこかひょうきんな表情を見せる鳥については、南蘋の弟子・高鈞との共通性を感じさせるが、精査が必要である。鶴亭を南蘋派の枠組みから解放するという当初の目的のひとつを果たし得なかったが、鶴亭の魅力を広く伝えていくためにも今後の課題として調査研究を継続していきたい。2011)に掲載。神戸市立博物館HPの名品撰にて高解像度画像を公開している。(http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/meihin_new/index2.html)2010)に掲載。館、1990、6−7頁成澤勝嗣「画僧・鶴亭の文事」『日本美術襍稿 佐々木剛三先生古稀記念論文集』明徳出版社、1998、531−548頁平井啓修「鶴亭の足跡とその交友─沈南蘋から黄檗へ─」『東アジア文化環流』第6号、関西大学文学部東洋史研究室ほか、2010、48−70頁平井啓修「鶴亭の画業における時代区分─その作風展開の特質について─」美術史学会西支部例会、2011年1月22日、於九州大学⑵「四君子・松・蘇鉄図屏風」は『若芝と鶴亭―黄檗宗の画家たち』展図録(神戸市立博物館、⑶「松竹梅図」は『伊藤若冲 アナザーワールド』展図録(千葉市美術館、静岡県立美術館、⑷「墨竹図」は『伊藤若冲 アナザーワールド』展図録(千葉市美術館、静岡県立美術館、2010)に掲載。⑸「山水図」は『若芝と鶴亭─黄檗宗の画家たち』展図録(神戸市立博物館、2011)および『伊藤若冲 アナザーワールド』展図録(千葉市美術館、静岡県立美術館、2010)に掲載。小林忠「鶴亭筆 富嶽図」『國華』898号、1967、33−37頁⑹悟心元明『一雨詩偈』(『黄檗文化人名辞典』至文閣出版、1988、53頁を参照)⑺「群鶴図」は『萬福寺開創350周年記念 隠元禅師と黄檗文華の魅力』展図録(読売新聞大阪本社、2011)に、「松下双鶴図」は『伊藤若冲 アナザーワールド』展図録(千葉市美術館、静岡県立美術館、2010)に掲載。⑻『日本随筆大成』第二期巻2、吉川弘文館、1973『森銑三著作集 続編』第11巻、中央公論新社、1994、10頁⑼「動」の字は「しんにょう+重」を用いている。⑽「松鷹小禽図」は『若芝と鶴亭─黄檗宗の画家たち』展図録(神戸市立博物館、2011)に掲載。⑾「花鳥雑画押絵貼屏風」は『隠元禅師と黄檗宗の絵画』展図録(神戸市立博物館、1991)に掲載。― 234 ―

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