義男製作監督、喜多川平朗織製による復元品(東京国立博物館蔵)図版(猪熊兼樹「有職文様」『日本の美術』509号所収、至文堂、平成20年)を参考とした。⑻拙稿「「白絵の調度」序論」『彦根城博物館研究紀要』第19号、平成20年。⑼畑麗「東照宮縁起絵巻の成立─狩野探幽の大和絵制作─」『國華』1072号、昭和59年。松島仁「徳川将軍家の始祖・家康の神格化と徳川日本の創建神話の創出─《東照宮縁起絵巻》をめぐって」『徳川将軍権力と狩野派絵画─徳川王権の樹立と王朝絵画の創生』所収、ブリュッケ、平成23年。⑽前掲注⑶泉万里『光をまとう中世絵画 やまと絵屏風の美』第1章、(角川叢書37)角川学芸出版、平成19年。なお、泉氏は、前掲注⑶「中世屏風の雲母と金銀」(『國華』1197号所収)において、12世紀に絹屏風の代用として、雲母引きや雲母刷りを施した唐紙屏風が作られたこと、雲母がもたらす光沢や見る角度によって浮かんだり沈んだりする文様の効果が、絹や綾の織文様に見立てられたことを指摘している。白絵屏風の松竹鶴亀文様を雲母で描くと説く『産所之記』や『産所法式』の画材選択の原理を考える上で、重要な指摘である。⑾作品分析については、信仰の造形的表現研究委員会編『真宗重宝聚英 第七巻 聖徳太子絵像聖徳太子木像 聖徳太子絵伝』同朋舎出版、平成元年。⑿前掲注⑺猪熊兼樹「有職文様」『日本の美術』509号、至文堂、平成20年。― 247 ―
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