鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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研 究 者:茨城県近代美術館 学芸員  永 松 左 知はじめに堀井英男(1934−1994)は、茨城県潮来町(現・潮来市)出身の画家・版画家である。茨城県近代美術館では、没後18年となる2012年に、公立美術館では初となる堀井の回顧展を開催した。1960年代から死去する1994年まで版画家として活躍しながらも、現在は知名度が薄れていた堀井の、初期の油彩画から始まり晩年の水彩画に至るまで、“画家”としての全貌を初めて紹介する試みとなった。本稿では、展覧会前の調査と展覧会後に判明した事実を踏まえ、以下の二点に絞り堀井英男研究を試みた。⑴堀井の絵画と版画について、初期の油彩画と銅版画の制作背景にあったものは何か。具体的には、堀井が郷里の潮来から上京し東京芸術大学絵画科油画専攻に入学した1956年から、銅版画《虚構の部屋》シリーズで自身の版画の作風を確立したといえる1975年までの期間に焦点を当て、その間の制作の概要を把握するとともに、堀井がとくに銅版画において影響を受けたと思われる作家と作品について検討する。⑵堀井の水彩画について、1980年代後半から本格的に始まったきっかけと、晩年に集中していった動機は何だったのか。同時期の銅版画の作風の変化とあわせ、技法やテーマなどの側面から考察する。1.1956年から1975年までの作品の特徴とシュルレアリスムの影響この間の堀井の制作は、主に油彩画と銅版画から辿ることができる。油彩画は、芸大に入学する1956年以前から1970年代前半頃まで描かれていた。堀井が油彩画を発表していたのは1967年までだが、その後にも潮来を描いた風景画などが存在した。銅版画は、1965年頃に始められ、1960年代後半は抽象的な作風の作品が制作された。1970年代には、鮮やかな原色と黒を背景に、具象的な人物像が描かれるようになり、以後の堀井の銅版画の方向性が決定された。⑴芸大時代から1970年代にかけての油彩画 〜キュビスム、ゴーキーの影響〜学生時代の堀井の作風については、現在作品のほとんどが所在不明であるため全体像はつかみにくい。しかし、堀井が芸大時代について語っている言葉にはこうある。「芸大に入ってからはつまらないキュービズムだのフォービズムだの、何だかんだ頭― 272 ― 堀井英男研究─銅版画と水彩画を中心に─

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