の中にあってしかめっ面してやっている」/「芸大時代は抽象ではないですよ。非常に僕らの頃はキュービックな方に進むか、フォービックに進むかというだいたい2つの大きな形式には分かれていましたけれど」(注1)。芸大1年生当時の写真で堀井が手にしている静物画〔図1〕は、幾何学的な線と面で構成されており、大学入学頃はキュビスムに影響を受けた手法で油彩画を制作していたらしいことが窺える。次に、芸大卒業の前後に描いたと思われる油彩画は、安定感のある構図と厚塗りの堅牢なマチエールが特徴である。現在堀井の生家に残っている作品〔図2〕は、おそらく堀井が荒川付近の安アパートを「ユトリロ張りに描いた」(注2)と語っているものである。こうしたスタイルで描かれた油彩画は他にもあったらしく、それらは堀井が芸大4年生時に故郷の潮来で開かれた堀井の初個展に並べられたらしい(注3)。その後は、1961年に大学院を中退し、美術の教員として勤めながら絵を描き、1967年まで仲間と定期的に油彩画を発表していた。この時期の油彩画には、大きく分けて三つの傾向が指摘できる。一つめは、《花》(1965年)〔図3〕のように具体的なモチーフや、太陽や水平線を連想させる幾何学的な形を描いた作品である。不明瞭な輪郭線と厚塗りを特徴とし、1965年頃に多く制作され、現在15点が確認できる。二つめは、《赤の嘲笑》(1963−1965年頃)〔図4〕のような、アメリカの抽象表現主義を思わせる有機的で非再現的な抽象画で、厚塗りの手法は第一の傾向に共通している。現在2点が確認できる。三つめは、第一、第二の厚塗りとは対照的な薄描きの作品である。《無題》(1967年)〔図5〕のように、薄い絵具をキャンバスに染み込ませるように描かれ、まるで水彩画のような透明感をもつ。浮遊する物体や人間の眼のようなモチーフは、同時期の銅版画にも共通しており、フォルムと線には後述するようにアーシル・ゴーキーの影響が見てとれる。1967年頃に制作された4点の作品が確認できる。その後、少し間をおいて1971年頃に潮来を描いた数枚の風景画〔図6〕が存在する。それらの作風は再現的かつ叙情的で、発表はされなかったものの、かつての抽象化や構成などの概念的な作画を離れた素直な描写による作品群である。以上のように、芸大時代から銅版画にシフトしていくまでの堀井は、フランスのキュビスムやユトリロ、アメリカの抽象表現主義など主に近現代西洋の油彩画の様式の影響を受け、様々な作風を試すように油彩画を制作していたことが分かる。― 273 ―
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