ては先立ち、モローはその内容を『茶色の手帳』に綿密に書き写したということになる。これら二つの直筆ノートの版画家名は同一である。《ヘラクレスとオンファレ》の素描と『赤色のノート』に書かれた版画に関するモローの覚書を総括すると、この画家がイタリア・ルネサンスの版画にとりわけ強い関心を持っていた事実が浮かび上がる。これらの一次資料には、17世紀以降の版画家の名前はほとんど現れない。当時モローが行った版画研究の内容は、明らかに近代や同時代の作品ではなく、15世紀から16世紀の古典版画に偏っていた。それらの大半がイタリアの版画家であるという事実は、古の巨匠に対するモローの強い傾倒を裏付けるとともに、古典版画を模範としたルネサンス以来の美術教育の伝統を彼が踏襲していたことを示唆している。4.19世紀の版画史―ヴァザーリの影響帝国図書館版画室で閲覧すべき版画家のリストを制作するにあたって、モローは特定の参考文献を利用したのであろうか。ここでモローの着想源を探ってみたい。版画研究における記念碑的な著書、バルチュによる『画家兼版画家』は、フランドル、オランダ、ドイツ、イタリアの500人近くの版画家を扱っており、モローのリストの源泉としては規模が大きすぎる(注14)。バルチュに続くロベール=デュメニル著『フランスの画家兼版画家』は、フランスの版画家のみを対象としている時点でモローの関心とは相違する(注15)。19世紀に出版された版画研究の主要な参考文献としては、ナグラー著『新美術家事典』およびル・ブラン著『版画愛好家の手引き』等が挙げられるが、これらはいずれも版画家名をアルファベット順に配列した事典的体裁をとっており、その対象範囲もバルチュよりさらに広いという点でモローとの共通点は認められない(注16)。モローが複数の文献を参照しながら全く個人的な関心に従って研究すべき版画家を選んだという可能性も否定できない。しかしながら、本研究ではモローによる版画家名のリストと、ジョルジョ・ヴァザーリ著『美術家列伝』に含まれる一章との間に、注目すべき共通点が存在することを指摘したい。1568年に出版された『美術家列伝』の第二版において、ヴァザーリは「マルカントニオ・ライモンディの生涯」と題した章を加筆し、初期から同時代までの著名な版画家を国別に紹介している(注17)。この章は、初めて書かれた版画史の一つであり、イタリア・ルネサンスの版画家に対する芸術家や美術愛好家の価値観を形成するにあたって多大な影響を及ぼした。本稿で指摘したい事実は、画家と建築家を除いた、ヴァザーリが言及した全ての版― 18 ―
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