鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
290/625

注⑴1994年5月29日に行われたインタビューの内容を文字に起こした資料による。以後「インタビり「ほろびゆく姿でみられる」風景を「しばらくは(水彩で)描き続けてみたい」と語っていた(注13)。ほろびゆく風景と重なる、流動的でとらえがたい人間の“顔”を絵画で表現したいと思ったとき、適していた技法は油彩よりもむしろ水彩であったのではないだろうか。中国体験が、画家に描くべきテーマとよるべき手法を一層明確に意識させるきっかけとなったことを、今回、堀井の訪れた土地を追跡して実感した。今後さらに、他作家の作品との比較を通して、200点にものぼる堀井の水彩画の特徴と、同時代における位置づけを考えていくことが課題である。No.6、1974年。ュー」と表記。⑵インタビュー(1994年6月16日)。⑶同上。⑷インタビュー(1982年4月21日)。⑸「アーシル・ゴーキー素描展」西武百貨店8階SSSホール、1963年7月26日㈮〜8月11日㈰、主催=読売新聞社・ニューヨーク近代美術館。⑹堀井英男「表紙「夏」P・ブリューゲル」『プリントアート』No. 20、1975年。⑺澁澤龍彦「ハンス・ベルメール」『みづえ』1968年11月号、澁澤龍彦「ハンス・ベルメエル 関節人形」『芸術生活』1973年11月号、サラーヌ・アレクサンドリアン『骰子の7の目 ハンス・ベルメール』河出書房新社、1974年など。⑻坂崎乙郎「パウル・ヴンダーリッヒの人体解剖学」『みづえ』1968年8月号。⑼村木明「西ドイツの人気作家 パウル・ヴンダーリッヒ、挑発の美学とその本質」『版画藝術』⑽インタビュー(1982年4月21日)。⑾インタビュー(1994年6月16日)。⑿堀井英男「自己の発見」『わが人生論 茨城篇・下』文教図書出版、1993年。⒀堀井英男「中国幻想─水彩画について」『堀井英男新作展〈水彩画・銅版画〉』アート・ギャラリー・タピエス、1994年。― 279 ―

元のページ  ../index.html#290

このブックを見る