画家の名が、前述したモローによる三つの版画家のリストのいずれかにおいて言及されていることである。版画家名の順序は全く同じではないものの、ヴァザーリが列挙した三、四人の版画家の名前が、同じ順序でモローの版画家リストにも頻繁に登場する。例えば資料1《ヘラクレスとオンファレ》の素描においては、「フィニグエッラ、バッチオ・バルディーニ、ボッティチェッリ、マンテーニャ」、「ウーゴ・ダ・カルピ、バルダッサーレ・ペルッツィ、フランチェスコ・マッツォーラ」、「ベッカフーミ、バティスタ・デ・ヴィチェンテ、フォンタナ、バティスタ・デル・モロ、ヒエロニムス・コック」「カラーリオ、ランベール・シュアヴィウス、ギージ、エネア・ヴィーコ」の名前の配列が『美術家列伝』と共通している。資料2『赤色のノート』においては、「エネア・ヴィーコ、ギージ、カヴァリエリ」や「ルカ・ペンニ、フランチェスコ・マルコリーノ・ダ・フォルリ、ヒエロニムス・コック」をはじめ、その他複数の箇所においてヴァザーリによる版画家名の順との共通点を見つけることができる。もう一つの大変興味深いヴァザーリとモローの共通点は、《ヘラクレスとオンファレ》の素描において、モローが「アントワープのマルティンM.C.」によってマルティン・ショーンガウアーを指していることである。このエングレーヴィングの巨匠は、実際にはアントワープではなくコルマールの出身であり、そのモノグラムは「MC」ではなく「MS」であった。この二点の間違いが、そのまま『美術家列伝』にも認められるのである(注18)。モローによるリストには、ベルナルド・ダッディ、E.S.の画家、ルネ・ボワヴァン、ラファエル・モルゲンといった、ヴァザーリが言及していない美術家の名前も書かれており、『美術家列伝』のみが着想源でない可能性は十分にある。とはいえ、モローは1841年にパリで出版された『美術家列伝』を所有していたことが明らかになっていることから、この著作の内容を知っていたことはほぼ確実である(注19)。何より、モローがこの著作の「マルカントニオ・ライモンディの生涯」の章に登場する全ての職業的版画家に言及していることは注目に値し、この画家が『美術家列伝』を用いて版画史の基礎知識を得ていたことを示唆している。ここで、19世紀に認識されていた版画史に、ヴァザーリによる『美術家列伝』の影響が色濃く反映されている事実を指摘したい。1826年に出版されたデュシェンヌによる『ニエロ版画論』では、バルチュやロベール=デュメニルの著書に並んで『美術家列伝』が典拠として挙げられることが多く、多数の引用が見られる(注20)。また、『ガゼット・デ・ボザール』でも、1850年代末から1860年代半ばに掲載された過去の著名な版画家を紹介した論文のなかで、『美術家列伝』が典拠として引用されることが非― 19 ―
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