主導で行うことを強硬に主張した。そして、最終的には、フランスが大幅に譲歩する形で、作品選出の権利はもちろん、カタログの印刷権、予算・収益の等分、キュレーションの主導権など、アメリカ側が提示したほとんどの条件が飲まれることになる。作品選定にあたりグッドイヤーとMoMA館長のアルフレッド・バーは特に二つの点に固執した。第一に、ギルバート・スチュアートやジョン・シングルトン・コプリーら18世紀の画家から、ジョージア・オキーフ、エドワード・ホッパー、トーマス・ハート・ベントン、アーシル・ゴルキーなど、抽象美術やシュルレアリスムにまで至る網羅的な展示を行い、絵画の分野で正面からフランス美術の向うを張ることである。MoMAアーカイヴに所蔵されている、グッドイヤーの同展報告書を参照すると、その紙面の大部分が絵画の記述に割かれており、この展覧会における絵画の重要性が伺える(注11)。もう一点は、絵画・彫刻の伝統的芸術分野に限定せず、写真、建築、映画までを含んだ領域横断的な展示構成である。ヴェルヌ宛の書簡の中で、グッドイヤーは「アメリカ美術の作品を展示するだけではなく、アメリカ的な作品展示の方法そのものをも観衆に見せること」が同展の目的である、と語っている(注12)。この点は同展の受容において、大いに物議をかもすことになった。保守派、右派の『ヴァンドルディ』や、親ファシズムの『ジュ・スィ・パルトゥ』、『グランゴワール』などは、領域横断的展示はアメリカ美術の「脆弱さ」を隠蔽するための小細工でしかないとし、アメリカにはアカデミーの伝統である、「ジャンルのヒエラルキー」を尊重する力がない、との批判を展開している(注13)。ところが、興味深いことに、同展への好意的な批評もまた、建築・映画の分野に集中していた。建築部門には、植民地期のアメリカ建築から、ルイス・サリヴァン、レイモンド・フッドらに代表される摩天楼〔図2〕、そしてフランク・ロイド・ライトらモダニズム建築、と三世紀間の多様な動向がモデルと写真によって網羅的に展示された。映画部門にはスティル写真やフィルムが陳列されるともに、館内の一室が上映室に当てられ、D. W. グリフィスの《国民の創世》やチャップリンの《黄金狂時代》などが上映された〔図3〕。とりわけ上映室は同展で最も人気が高い部屋であったことが報じられている(注14)。抽象表現主義が第二次世界大戦後に美術界を席巻する以前、アメリカ文化・美術のヨーロッパにおける受容は主に摩天楼とハリウッド、そしてジャズを通じてなされた。ル・コルビュジェの1925年のプロジェクト、《プラン・ヴォアザン》をはじめ、ヨーロッパの先進的な近代建築家はこぞって摩天楼の模倣を試みた。また、映画、と― 298 ―
元のページ ../index.html#309