注⑴ 先行研究におけるモローと版画との関連性は、視覚的着想源という観点に集中している。主に次を参照:G. Lacambre, “Documentation et création : l’exemple de Gustave Moreau”, dans Usages de l’image au XIXe siècle, Paris, 1992, pp. 79-91; cat. exp., Gustave Moreau, Paris, Chicago, New York, 1998.Inv. 11918. 以下、Inv. に続く番号はモロー美術館総目録番号を示す。⑵ ⑶ これらの版画の個別の作品データはここでは割愛せざるを得ない。詳しくは以下を参照:M. Tanaka, “Gustave Moreau et l’estampe”, thèse de doctorat à l’Université Paris IV-Sorbonne, 2009, 4 常に多かった。例えば、1859年のフィリップ・ビュルティによるニエロ版画論では、ヴァザーリがマーゾ・フィニグエッラを最初の版画家とみなしたことが言及されている(注21)。同年に同雑誌に掲載されたエミール・ガリションによるジロラモ・モチェット論では、この版画家の生涯が『美術家列伝』を典拠に語られている(注22)。1864年のガリションによるドメニコ・カンパニョーラ論、翌年のチェザーレ・ダ・セスト論においても、『美術家列伝』からの引用がいくつも確認できる(注23)。モローは、これらのガリションによる論文から複製版画を切り取りって保管していたことから、これらの論文を読んでいたことはほぼ確かである(注24)。こうした背景から、直筆ノートに確認されるイタリア15-16世紀の版画家に対するモローの強い関心は、19世紀まで版画史において絶大な影響力を維持した『美術家列伝』の影響を受けたと考える。5.結論版画を通して過去の美術家の様式を学ぶことは、モローが独自の様式を確立させる1860年代に決定的な役割を果たし、それはルーヴル美術館を訪れることやイタリア旅行中に描いた無数の模写と同様に重要な過程であった。帝国図書館版画室は、ヴァザーリやバルチュが扱った著名な美術家たちの作品を学ぶための理想的な場所をモローに提供していた。とりわけ本研究では、モローがその作品を観察することを意図して記した版画家名のリストに、ヴァザーリ著『美術家列伝』の影響が顕著に反映されていることを指摘した。モローの例は、当時の美術教育において古典版画が果たした主要な役割を我々に再認識させると同時に、当時の美術史観、この時代の複製版画による画像の流通といった、より広範な研究領域において、絵画や彫刻と比較して目立たない技法である版画が果たしていた重要な役割が見直されるべきであることを示唆している。― 20 ―
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