中詞を伴う絵巻の現存作例が一番多いのはこのⅢ期である。「新蔵人物語絵巻」(サントリー美術館蔵)・「しぐれ絵巻」(永正10年〈1513〉個人蔵)・「弁慶物語絵巻」(個人蔵)・「付喪神絵巻」(崇福寺蔵)など、小絵・白描を含む様々な絵巻に画中詞があり、特に「鼠草紙絵巻」(天理大学附属天理図書館・サントリー美術館ほか蔵)・「浦島太郎絵巻」(日本民藝館ほか蔵)などの御伽草子絵巻には広く見られる。なお、16世紀後半の制作とみられる一部の絵本(個人蔵「住吉物語」(注12)・NY公立図書館蔵「岩屋の草紙」ほか)にも画中詞をともなう作品があり、3頁にわたる挿図の部分などに絵巻の形式からの影響が見いだせることから、画中詞も含めて絵巻の表現を取り入れる形で冊子の挿図が描かれたと考えたい。時代が下るにつれて、会話や和歌などを長々と書き込む画中詞は姿を消し、人物名(擬人名)のみを記すタイプへと移行する傾向が見られる。従前の画中詞のようにモチーフの傍らに描き込まれるスタイルではあるが、絵巻という媒体において「声」が書き込まれることは、17世紀半ば頃を境に見られなくなる。2.中近世移行期の絵巻における絵と言葉 ─芸能との関わりまた、この時期の絵巻の中には、絵と詞書が一体化したパターンの作例が増加する。17世紀に入ると絵巻における「声」の表現としての画中詞は消えていくが、一方で、近世初頭の「本の文化」と「声の文化」の融合の特殊な作例として、岩佐又兵衛筆とされる一連の古浄瑠璃絵巻群が挙げられる。詞書自体もリズム感のある文体であるが、それらとは別に、いかにも演者の言い回しを彷彿とさせる七五調の文章が画中に書き込まれている。たとえば「小栗判官絵巻」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)第十一巻の、餓鬼阿弥の道行きが描かれる場面では、「あしからはこねはこれかとよ(足柄、箱根はこれかとよ)」(第十三段)、「やまなか三りよつのつち(山中三里、四つの辻)」(第十四段)、「いつのみしまやうらしまや(伊豆の三島や、浦島や)」(第十五段)というように詞が挿入され、その間に絵が展開されている。これらが従来の画中詞の定義には当てはまらないとしても、おそらくこの絵巻を観た者は、浄瑠璃として演じられた際に耳で聴く台詞を思い出し(あるいは口ずさみ)、絵を享受したのではなかろうか。上記場面に限らず岩佐又兵衛の絵巻に常套的に用いられる金銀の霞も劇におけるスピード感のある場面転換の演出を思わせる。霞による場面転換も、画面の右から左へと時間の経過を表す表現も、そして画中に詞書を配する方法も、絵巻という媒体で長きにわたり培われてきた表現方法である。岩佐又兵衛の作品は、絵巻の特性を最大限活かしながら、そこに浄瑠璃という芸能を活写した作例であると言えよう。― 308 ―
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