それらは詞書とは区別して記される画中詞ではないが、画中に記されたテキストという意味で、本研究でも考察の対象とした。大部な絵巻としては「太平記絵巻」(埼玉県立歴史と民俗の博物館・国立歴史民俗博物館蔵)、「源平盛衰記絵巻」(個人蔵)が知られる。いずれも良質の絵具を用いた豪華な絵巻で、「太平記絵巻」は海北友雪(1598〜1677)筆と考えられており、また、「源平盛衰記絵巻」は水戸徳川家伝来である。詞書は絵の主として絵の上部の金霞の上など、モチーフが描かれていない部分に書写されており、絵が完成した後に書き込まれたと考えられる。「太平記絵巻」などのような、大規模な工房による分業制作を思わせる作例とは作風が異なるが、元和4年(1618)の奥書をもつ「隅田川」(NY公立図書館蔵・スペンサーコレクション)〔図1〕も、絵と詞書が一体化したタイプの作例である。モチーフを避けるように書かれた文字を見ると、ある程度の間隔をおいて絵を描き、あとは成り行きで詞書を書写していったのではないかと思われる。また、「小敦盛」(NY公立図書館蔵・スペンサーコレクション)〔図2〕は、詞書と絵が一体化し、絵には従来型の画中詞のスタイルで人物名が記されている。人物名と詞書の筆致は類似するため、筆者は同じであると思われる。明確に絵のスペースをとらず、詞書の行の途中に小さく人物を描き、「わかきみ(若君)」などの人物名を記す箇所が散見され、モチーフのみを先に描いたとは考えにくいため、詞書の筆者が、テキストを書写しながら絵も描き込んでいったのではないかと考えられる。「隅田川」の場合も、詞書や絵の画面配分のプランがあらかじめ定められて制作されたとは考えにくく、詞書と絵の筆者が同一である可能性もあるだろう。なお、この時期、冊子ではあるが「かるかや」(サントリー美術館蔵)〔図3〕の絵本のような作例もあり、こうした謡曲や説教、浄瑠璃などの音声を伴って享受された物語が、テキストと絵が一体化した絵本として制作されていた点は興味深い。先に挙げた「太平記絵巻」や「源平盛衰記」は語り物として享受されてきた物語であり、その内容を形(モノ)にするにあたって、音声と視覚的イメージを融合させた表現が可能な媒体として、画中にテキストを書き込む形式が採られたのではないだろうか。3.鼠の婚礼を扱う絵巻に見る画中詞の消長 ─絵巻から版本へ画中詞が17世紀に入って絵巻の表現から消えていく様子を、「鼠草紙絵巻」を例にみていきたい。室町時代末期から江戸時代初期にかけて、鼠の婚礼を主題とする物語絵巻が複数制作された。物語・題名の異同はあるが、共通する主題を描く作品を比較することで、画中詞の消長が確認できる。― 309 ―
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