鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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サントリー美術館蔵「鼠草紙絵巻」(以後、サントリー本と呼称)〔図4〕は、鼠の権頭を主人公とする絵巻で、制作年代は16世紀後半と考えられている。同絵巻には多数の画中詞があり、権頭と姫君の婚儀の祝宴が開かれる場面では、宴席の準備をする鼠たちの会話がぎっしりと書き込まれている。それらの画中詞には東国表現があることが指摘されている(注13)。実際に聞こえてきそうな言葉づかいであればあるほど、擬人化された鼠が主人の噂話や愚痴に花を咲かせていることの面白さが際立つと考えられ、これらの画中詞は、当時絵巻を観た者にとっては非常にリアリティを感じさせる部分であったのだろう。続く17世紀初頭に制作されたと考えられる絵巻として、甲子園学院蔵「鼠の草子絵巻」(以下、甲子園学院本と呼称)がある。詞書は一部のみが現存し、物語の全容は明らかでないが、先に見た権頭の物語とも、後述する「袮兵衛鼠」とも異なるテキストをもつ。描かれているモチーフ(着物や茶道具などの器物など)を風俗史的な観点から、成立年代は江戸時代初期、おおよそ慶長〜元和期と位置づけられる作品である(注14)。この絵巻にも鼠たちが婚礼の宴席を準備する場面があり、描かれている食材や飯炊きの女性など、サントリー本と類似するモチーフが見られる。テキストは異なっていても、絵師は先行する鼠の婚礼の図様を参照していたようだ。しかし、甲子園学院本には和歌や台詞の書き込みはなく、擬人名のみが記される。大阪青山歴史文学博物館蔵「袮兵衛鼠絵巻」(以下、大阪青山本と呼称)およびNY公立図書館蔵(スペンサー・コレクション)「鼠草紙絵巻」(以下、スペンサー本と呼称)〔図5〕は、白鼠の祢兵衛を主人公とする別の物語を絵画化しているが、同様に、宴席の準備をする場面には共通するモチーフが見いだせる。大阪青山本には擬人名の書き込みがあるが、スペンサー本にはない。大阪青山本の制作の方が、スペンサー本に先行するように思われる。両者に見られる鼠の表現には「寛文美人図」あるいは寛文小袖の影響が指摘されており(注15)、甲子園学院本の約半世紀ほど後の風俗が写し取られていると言える。このように、共通する主題の絵巻を比べると、16世紀後半から17世紀後半の約一世紀の間に、画中詞がその機能を失っていく様子が見て取れる。しかし、鼠の婚礼の物語は、画中詞とともに版本へと受け継がれた。赤本『鼠よめ入り』(国立国会図書館蔵)には、祝宴の準備をする鼠たちの傍らに台詞が書き込まれている〔図6〕。この作品に限ったことではなく、草双紙ではモチーフの間を埋め尽くすように文字が書き込まれ、読む順番を記す表現も見られる。画中詞は、絵巻から版本へと場を写して生き残ったと言えるだろう。― 310 ―

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