注⑴若杉準治氏は「矢田地蔵縁起成立考」(古筆学研究所編『古筆と絵巻』八木書店,1994年,91−111頁)の中で、画中詞のある絵巻について、①長大な一段の中に複数の場面を含む・画中詞は登場人物や場所の説明や会話②一段一場面の白描絵巻・画中詞は登場人物の指示と会話③詞書を持たず画中詞のみで構成される絵巻、の三種に大別し、①から②・③が派生したと述べている。おわりに中世絵巻の画中詞に見られた「声の文化」と「本の文化」の融合は、江戸時代に入ると、絵巻から版本の世界に引き継がれた。このことは、絵を眺めると同時に、画中詞によって会話や歌を耳で聴く楽しさをも表現してきた絵巻という媒体が、17世紀半ば頃を境に、メディアとしての一つの役割を終えたことを示しているのではないだろうか。折しも17世紀半ば頃は、版本の隆盛など日本の出版文化の一つの転換期とも言える時代であり、画中詞という物語絵の一手法が、当時の新規メディアである版本に継承されたのは象徴的であるように思われる。物語絵享受とオーラリティの関係については、今後継続して考察していきたい。⑵山本陽子「『〜ところ』という言葉 ─彦火々出見尊絵巻と画中詞の発生」『絵巻の図像学「絵そらごと」の表現と発想』勉誠出版,2011年,43−62頁。同氏は、12世紀の絵巻に、声明の記譜法に由来する「声の線」が描かれることを論じ、それらが13世紀の「春日権現験記絵」を最後に見られなくなるのに対し、画中詞は後世に受け継がれることを指摘している。⑶下原美保「『天狗草紙』考 画中詞等からみた原本における鑑賞法と享受者」『美學論究』9号,関西学院大学文学部美学科研究室,1992年,29−43頁。また、絵解きと画中詞の関連についての論考としては、小峯和明「絵巻の画中詞と言説 絵解きの視野から」『国文学 解釈と鑑賞』68号,至文堂,2003年,47−56頁がある。⑷伊藤慎吾「三条西実隆の草子・絵巻読申」『室町戦国期の文芸とその展開』三弥井書店,2010年,⑸徳田和夫「絵巻の物語学─説話絵巻を中心に」『絵語りと物語り』平凡社,1990年,および伊藤氏前掲論文。『十輪院内府記』文明十二年(1480)八月二十二日条「於御前有御物語。又被読絵詞。絵方成御前逆読之也」の記事についての考察。⑹「尾張徳川家の名宝」展(徳川美術,2010年)で初めて公開された。⑺石塚一雄「後崇光院宸筆物語説話断簡について」『書陵部紀要』17号,宮内庁書陵部,1965年,⑻工藤早弓「ひと口笑話『法師物語絵巻』」『別冊太陽 やまと絵』平凡社,2012年,160−165頁。⑼石塚一雄「『和尚と小僧』の説話断簡について」『臼田甚五郎博士還暦記念 口承文芸の展開』桜楓社,1974年。⑽藤原重雄氏は、同紙背に含まれる説話断簡について、「比較的大きな文字で行間もゆったりと書しているものが多く、絵巻の詞書を清書した際の書き損じが過半を占めるようである」と述べている。(「物語説話断簡(駿牛絵詞紙背のうち)」解説 『お伽草子 この国は物語にあふれ42−63頁。74−87頁。― 311 ―
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