鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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研 究 者:二松学舎大学 非常勤講師  菊 地 淑 子はじめに内陸アジア敦煌オアシス近郊の岩山に開かれた仏教石窟寺院敦煌莫高窟には、内部が壁画と彫塑で荘厳された洞窟が500個近く存在する。報告者は個々の洞窟が造形上優れた建築作品であると同時に歴史的建造物でもあることの言説化をめざし、そのための作例として第217窟という唐前期の重要窟を選び、これまで些かの考察を進めてきた。今年度の助成研究では同窟内各壁面の供養者図像に付された漢語題記をめぐる問題に特化し、同窟が開削以来経てきた歴史的局面を明らかにする作業の一端を行うことになった。同窟の漢語供養者題記については、1980年代以降に多くの論文で論及されてきたが、これらを再検討する必要性があると考えられるからである。以下に、先人の調査記録を辿りつつ報告者の実地調査報告を行い、調査によって気づいた問題点と、諸先学からいただいたご教示を記していく。なお、本稿には末尾に文献目録を付し、引用文献・参考文献の書誌情報はそちらに示している。文中でこれらの文献に言及する際には、編著者の姓と発行年を組み合わせた略号によってこれを示すことにする。また以下に同窟内各壁面の漢語供養者題記に対する先人と報告者の実地調査記録を引用するにあたり、次の略号も使用する。ペリオ(1907):1907年に行われたペリオによる調査記録。文献目録のPelliot(1983)を参照。史(1947):1947年に刊行された史岩氏の調査記録。史(1947)を参照。謝(1955):1955年に刊行された謝稚柳氏の調査記録。同氏の調査は1942年から1943年に行われた。謝(1955)を参照。『題記』(1986):敦煌研究院編『敦煌莫高窟供養人題記』の記述。敦煌研究院による調査と当該書編纂の経緯が段文杰氏による前言(pp.1−2)に記されている。山崎(1995、2003):報告者が1995年4月と2003年9月に行った調査時の記録。山崎は報告者の旧姓。報告者は2004年に改姓した。下野(2011):2010年度に下野玲子氏が行った助成研究の記録。下野(2011)を参照。菊地(2013):報告者が本助成研究において行った調査の記録。― 314 ― 敦煌莫高窟第217窟の開削と改修をめぐる歴史─漢語史料から見た寄進者と改修者─

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