1.5 男性供養者第5身1.6 男性供養者第6身(以上、主室西壁佛龕下部北側)1.8 男性供養者第8身1.7 男性供養者第7身(ここから主室西壁佛龕前方北側の土壇南面)異体字であると考えられる〔図1−1〕。『題記』(1986)p. 237の「莫高窟供養人題記別体字簡表」には漢語の莫高窟供養者題記に見える異体字が列挙されているが(注7)、この中に「涼」の異体字があり、報告者のアイコピーはこれに近い。字体とはスタイルそのものであり、書写人の地方様式・時代様式が反映されると考えられ、興味深く思われた。史(1947)、謝(1955)に記述なし。ペリオ(1907)は「翊衛 木表」と記録し、『題記』(1986)はペリオの「木」字に相当する箇所をとしている。山崎(1995、2003)では「翊」の一部と「衛」字の一部かと思われるぎょうにんべんの部分を確認することができた〔図2〕。下野(2011)は自身の調査で「榜題中に立偏の文字が読み取れる」としている。史(1947)、謝(1955)に記述なし。ペリオ(1907)は「…守左衛正守左衛延州延川╱╱…尉上柱國…╱╱」と記し、「延川」の後で改行している。『題記』(1986)はペリオ(1907)に記録されるもののほか、「尉」の前に更に「都」字を読んで「都尉」としている。山崎(1995、2003)ではこのうち「守」、「左」、「衛」、「延」?、「州」、「…尉上柱國」に相当すると思われる9文字のアイコピーをとることができた〔図3−1から3−5〕。下野(2011)はペリオ(1907)と『題記』(1986)の記述を「ほぼ同様」とし、また自身の調査では「榜題は判読不能」としている。史(1947)、謝(1955)、『題記』(1986)に記述なし。山崎(1995、2003)で文字は判読不能だった。下野(2011)も「榜題は判読不能」と。菊地(2013)でも判読不能。史(1947)、謝(1955)、『題記』(1986)に記述なし。山崎(1995、2003)で文字は判読不能だった。下野(2011)も「榜題は判読不能」とする。菊地(2013)でも判読不能。― 317 ―
元のページ ../index.html#328