5.2 第2身供養者(男性)『題記』(1986)には全2行の題記が採録されている〔図12−1〕。このうち山崎(1995、2003)では「大」「夫」「検」「再」「繢」を確認することができた。このうち「検」「再」のアイコピーを本稿に付する〔図12−2、12−3〕。いずれにも当時の敦煌の字体がうかがわれる。「再」字の異体字は前述の「莫高窟供養人題記別体字簡表」に挙げられており、ペリオ(1907)にも実際に目に見える字形を忠実に写し取ろうとした跡がうかがわれる。6.前室西壁門口上部報告者はかつて菊地(2011)において、同窟前室西壁門口上部の供養器図をスケッチし、この図像のうち中央の風化した部分を推定する作業を行った。しかし2013年4月23日午前に行った実地調査では、窟内が明るく2010年に観察したときよりもよく見え、私が菊地(2011)で蓮の葉であると推定した部分は蓮の葉ではなく、人物像の腰付近の衣であることが分かった。そしてそれをたよりに、供養器(据香炉)の下方に、以前の観察では見えなかった3人の人物が描かれていることに気づいた。かつ、報告者は『敦煌石窟內容總錄』に示された同箇所の供養器図の向かって右脇の供養者像を盛唐期のものとする年代観に添い(注29)、菊地(2011)でも同供養者像を唐前期のものと見ていたが、2013年4月の調査で同供養者像を観察したところ、制作年代については再検討しなければならないと考えるに到った。その理由は、まず同供養者像が描かれた壁面は前室西壁門口北側につながっていて、その間に塗り重ねが認められず、年代は前室西壁門口北側と同じと考えるのが自然だからである。また同供養者像の向かって右には明るい黄緑色の地色をしたカルトゥーシュが見え、その地色が、前述した甬道内南北壁と主室東壁門口南北両側のカルトゥーシュのそれに近いと感じられたからである。報告者は菊地(2011)で前室西壁門口上部という興味深い位置に供養器図像が描かれていることの重要性を指摘でき、これにより同窟研究を些かなりとも進めることができたと自負しているが、同壁は良いコンディションで観察すれば更に多くの図像を見出すことのできる可能性があり、かつ制作年代にも再検討が必要であることが分かった。7.主室南壁また報告者は、かつて菊地(2009)と菊地(2011)において、同窟主室南壁中尊下― 328 ―
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