鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
351/625

(注11)。羽や斑の描写方法などから絵画部分は正吉画として問題ないと考える。8)、正吉画は鷹の首を大きく捻らせ、いささか不自然なポーズをとっている点が特徴といえる。四番目は彩色の施し方である。鷹の成鳥の胸部から腹部と脚の部分等に色を用いる例が通例となっている。特筆すべきは、彩色の塗り方にある。鷹の胸部から腹部に不自然なほど厚く彩色(胡粉か)を塗り、その上に模様(斑)を濃墨で描きだしている。その為、背中の羽を描く墨彩の部分と胸部の彩色を伴った部分の対比が甚だしく一見粗雑な後補とも見紛う描写になっている。正吉画は傷みをともなうものが多く、後補が全くないとはいえないが、ほとんどの正吉画に見られる特徴であり、これは当初からの描写である可能性が高い。五番目は、目の周りの模様の描き方である。すべてに共通するものではないが、筆線を目立たせた描写をする場合は、目に沿って半円弧を重ねて描く例が多い〔図11〕。3.印章薬師寺本以外に落款を記す作品は存在せず、印章のみが捺されている〔表1〕。印章は四種確認されており、朱文重廓方印「御綬鷹」、朱文方印「佐渡掾藤原正吉」がほとんどの作品に捺されている。次に朱文鼎印「松巌」の数が多く、印文不明の朱文円印が個人蔵「松鷹図」〔図12〕(注9)にのみ捺されている。目視での判断であるが、実見し得た印章は同じ印文のものはすべて一つの印章であると考える。中村渓男氏が指摘するように「松巌」印を剃髪後の法名と考えることも可能であろう(注10)。しかし明確な画風の変化を見出しにくい為、「松巌」印の有無と画風や制作年の違いを見出すことは現状では難しいと考える。また、印文不明の朱文円印を捺す作例は一点のみであるが、後印の可能性が高い4.来歴の再確認次に藤原正吉の来歴について確認していきたい。詳細不明の人物とされており、同時代史料の発掘はまだなされていない。近世の画史類では谷文晁『本朝画纂』に「佐渡掾 姓藤原諱正吉不知履歴、或曰土佐光茂之二男」とあり(注12)、ほぼその記事を利用して『増訂古画備考』には「佐渡掾藤原正吉、不知何處人也、或云、土佐光茂二男、然乎否乎、紙本古拙、猶學直菴歟」と記している(注13)。また『扶桑名画伝』でも土佐光茂の二男であることに疑問を抱いている(注14)。素性不明である為、いずれの画論ともに藤原正吉の生没年については記載していな― 340 ―

元のページ  ../index.html#351

このブックを見る