注⑴本調査の報告書『二〇〇九〜二〇一〇年度 早稲田大学奈良県連携事業成果報告書 県内社寺等に伝わる美術品の調査・研究─近世書画を中心に─』(早稲田大学美術史学研究室・奈良県立美術館編集発行、2011年)。本調査が実施された際に筆者は参加しておらず、薬師寺本を実見する機会を逸している。しかし当時の調査員の皆様のご教示等や写真上の判断により真筆として取り上げる。⑵根津美術館編『根津美術館蔵品選 書画編』2001年、図111⑶NHK、NHKプロモーション編『武蔵─武人画家と剣豪の世界』展図録、2003年、図140⑷郡山市立美術館他編『美がむすぶ絆 ベルリン国立アジア美術館所蔵日本美術名品展』2008年、図14⑸京都国立博物館編『室町時代の狩野派─画壇制覇への道─』1996年、231頁挿図⑹奈良県立美術館編『曽我直庵・二直菴の絵画』展図録、1989年、図20⑺鈴木廣之「押絵貼り屏風形式の架鷹図について」『日本屏風絵集成⑿ 風俗画─公武風俗』講談社、1980年⑻アン・ニシムラ・モース、辻惟雄編『ボストン美術館日本美術調査図録 第一次調査 図版編』講談社、1997年、330頁⑼前掲注⑶『武蔵』展図録、図141⑽中村溪男「図141鷹図解説」『水墨美術体系⑺ 雪舟・雪村』所載、講談社、1973年⑾落款字典編集委員会編『改訂新版 必携落款事典』(柏書房、1994年改訂第一版)の「雪舟」の立てこもりは家康の世を理想とした回帰運動と考えられる。家光治世は政治機構が整備され時代が大きく平和へと向かい、武士の有りようも変化が訪れた時期であった。大名や代官、牢人にとって自らの基盤である武力というものに改めて思いを致す時期だったのではないだろうか。そして平和の礎を築き護国の神として祀られた家康に、武威による平和の世を祈念したのではないだろうか。鷹は、高位捕食者であり鳥類の頂点に立つ存在である。一方で鷹狩を行う者にとっては武具ともいえ、武力をもって天下統一を果たした者を荘厳し、象徴するには最適の存在であっただろう。鷹図絵馬は武力そのものや、武力によって成し遂げられた統一国家を象徴する存在であったと考えられる。そして鷹狩を愛し、武力によって天下統一を果たした家康への奉納品となったのではないだろうか。おわりに藤原正吉の鷹図が奉納された時代は、戦乱の世から平和の時代へと大きく変化する転換期であった。武力によって平和の世を築いた者たちにとっては、自らの基盤や有りようを改めて思い致す必要に駆られた時代でもあっただろう。正吉もまた自らの基盤や理念の表象として鷹を描き、奉納したのではないだろうか。― 344 ―
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