鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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明に写し取っている。図様構成は基本的には原本に準じるが、現状の原本にはない上巻の第一・二段の絵二紙が存在し、また原本の上巻巻末にある狩野安信の奥書が下巻巻末に配されるという違いがある。原本にない箇所は、姫の浄土教書写を描く絵一の第一・二紙の間に、向かって左に開扉の屋舎、その前庭に立蔀やしだれ桜を描く一紙〔図4〕、また蓮駄集荷を描く絵二の第六紙に続く一紙〔図5〕である。この欠落については、すでに東京国立博物館本・当麻寺奥院本などの模本との比較から河原由雄氏によって指摘されているが(注5)、新出本は下記の箱書から、これらの模本より早い模写年代を誇り、制作事情が判明する点で特筆される。新出本は二重箱に収納され、内箱の覆紙に「當麻曼陀羅縁起 二巻 正寫 源公風田中訥言」の墨書、蓋裏には下記の墨書〔図6〕を記した貼紙がある。此曼荼羅縁起は住吉法眼慶恩が筆也 筆力顕然として疑ふべからず まいて住吉家の古記に/慶恩か曼荼羅縁起をゑがきしことしるしあるをや 抑慶恩は元暦建久のころ摂津国住吉の/繪所なり さればこそ詞書せられし御京極殿下と代もあひかなふべけれ しかるに永真の證/侍るはいかゞあらん よてこの事をあきらかにしらしめんがため寛政五年八月三日/左少将定信かいつけはべる也右上下二巻原本真寫 詞書 源 公風 繪  田中訥言  依命 これに加え、内箱蓋裏には「白河」・「桑名」朱文円印、「楽亭文庫」朱文二重廓長方印の札が貼られる。したがって、新出本は原本を閲覧した松平定信が寛政5年(1793)8月3日に絵の筆者を住吉慶恩とする極書を行い、またその命により源公風が詞書を、田中訥言が絵を分担して原本を模写し、寛政5年9月に完成したと解される。また蓋裏貼紙の印章はいずれも松平定信の蔵書印であり、新出本が彼の手元にあったとわかる。新出本の詞書筆者「源公風」は、幕府右筆の森尹祥(1740〜98)の二男にあたる森公風(生没年未詳)と推察される(注6)。父の尹祥は持明院筆道の名手で古筆に通じ、古筆の鑑定や考証をしたことでも知られ、定信の随筆『退閑雑記』にも「後三年  當麻の曼荼羅縁起二巻は鎌倉光明寺にあり 此畫の末に古土佐の筆也と狩野永真が書たる/跋ありと沙汰したるに左にはあらず 故に別に其事かいてやりぬ― 350 ― 記之 寛政五年九月 日 

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