鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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これは後藤家出入り業者(古美術商米万商店)故横井万太郎氏から聞いた話だという(服部、156頁)(注12)。この入札の際の高値表を見ていくと、絵画部門においては、円山応挙の六曲一双金地屏風(4万6千8百円)、李廸の軸《瓜虫》(3万8千9百円)に次ぐ三番目の高値で、小栗宗湛の《真山水》の1万6千9百8十9円を大きく上回っていた。版のわかるもののうち、次の3つの作品について考察を試みる。他の作品については、このたびは図版を掲載するにとどめる(図版頁参照)。2)−1《梅潜寿老人図》〔図8〕は、現在名古屋市の昭和美術館の所蔵である。所蔵にあたってのあるエピソードが『淡交』(昭和60年)に紹介されている。「昭和3年5月28日、島津公爵家の蔵器入札が行なわれ、狩野芳崖梅寿老が出陳された。そのおり、創立者後藤幸三氏の注文にて入札したところ、2万3千3百円にて米万商店に落札。 然るに公爵家では、この梅寿老は引き立て役に出品したのみにて、他の芳崖は売却するが、こればかりは絶対売却せぬ、と拒絶されました。 それではあまりにも勝手にて名品を収めるべくせっかく努力したのが無駄と、そのおり、入札委員長高橋箒庵氏(『大正名器鑑』編集者)に膝詰め交渉、遂に全部入札取り止めか?まで発展し、遂に公爵家も売却を承諾し、後藤家の蔵となりました。」既述のとおり、本作は伝雪舟《梅潜寿老人図》(重要文化財、東京国立博物館蔵)の模写である。この《梅潜寿老人図》については、芳崖の修業した木挽町狩野家においても繰り返し模写されてきた作品であり、古くは常信の模写も知られている。また、梅の枝のみをトレースし、別の寿老人の型と組み合わせた作品など、この《梅潜寿老人図》から派生させた作品が木挽町の絵師を中心に知られている(注13)。芳崖の《梅潜寿老人図》は、松の幹や梅の枝などが伝雪舟のものと一致しない。一見して模写とわかる作品ながら、引き写しはなされていない。2)−2芳崖は、明治15年10月の第1回内国絵画共進会に《山水》三点、《布袋》、《林和靖》、― 363 ―

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