鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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ジェリコのフレスコ画や古典美術の研究成果が発揮されている。この後、ドニはル・プリウレの礼拝堂とスイス、ジュネーヴの聖パウロ教会を手がけるまで、宗教建築に携わる機会はなかった。しかし第一次大戦によってフランス国内の多くの教会が破損したことで、教会装飾の仕事が舞い込むことになる。●ル・プリウレから20年代 ─アトリエ・ダールサクレの創設─ル・プリウレル・プリウレは、17世紀に施療院として建てられた建物で、1914年にドニが自邸として購入し、小修道院を意味する「ル・プリウレ」と名付けた。ドニは併設の礼拝堂を1915年から15年にわたって装飾した。初めに着手したのは、礼拝堂の左右壁面に埋め込まれた半円状の油彩画《十字架の道行》とその上部に描かれたフレスコ画《ラザロの蘇生》《我に触れるな》、そして青一面の天井と《サクレ=クール》である〔図3〕。1918年にはドニの原画によるステンドグラス《キリストの生涯》《聖母の接吻》(マルセル・ポンセ制作)が完成し、1930年までの間に、礼拝堂の細部を飾る油彩画が描かれた(注4)。礼拝堂全体は柔らかな水色の腰板と白い漆喰の壁、そして水色の線描によって統一が図られ、油彩画とステンドグラスが美しいアクセントとなっている。デトランプで描かれたステンドグラス原画では陰影を抑えた柔らかな色調が印象的だが、ステンドグラスの特性上、実際は強い輪郭線とコントラストが生み出されている。それでもなお繊細で優美なフォルム、溶け合う中間色の色諧はドニの芸術世界を十分に伝えている。ジュネーヴ:聖パウロ教会ル・プリウレを購入した年、ドニはジュネーヴに新設された聖パウロ教会から記念画の制作を依頼された。アプスの油彩画《聖パウロの生涯》は1916年に完成、その後ジュネーヴやリヨン、サヴォア周辺の守護聖人を主題にしたステンドグラスの原画が制作され、23年までの間にマルセル・ポンセの手により実現された。またモザイク画1919年、ドニはデュヴァリエールとともにアトリエ・ダールサクレを設立する(注3)。この時期、ドニはアトリエに在籍するステンドグラスやタイルの諸分野の作家たちとともに多くの作品を残した。それらを厳密に区分することは難しいが、本稿で言及する作品は、油彩あるいはフレスコによるドニ自身の作品、ステンドグラスにおいてもドニの手によることが明らかな原画である。― 373 ―

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