鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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けられている。しかしながら、画面上部の大部分を占める聖霊の黄色、青空、神の国を飾る天幕の濃いバラ色のコントラストがあまりに強烈で、信徒たちにけばけばしい印象を与えた可能性は否めない。聖堂内部のコンクリート、ドームを支える柱などの細部にも装飾意匠が施されておらず、建築全体が聖なる空間として十分意識されているとはいえない。トノン=レ=バン:サクレ=クール教会と大聖堂サクレ=クール教会は1934年に建設されたネオ・ゴシック様式の建築で、ジュネーヴの聖パウロ教会を目にした建築家がドニに壁画を依頼したとされる。《仲介者としてのマリア》〔図8〕を主題として油彩画4点とその他11人の聖人が描かれた。1941年の完成の後、43年には大聖堂のための油彩《十字架の道行》《ゲッセマネの祈り》《我に触れるな》が制作されたが、その年にドニは交通事故で歿し最後の作品となった(注9)。この二聖堂を特徴づけるのは、何よりもまず鮮やかな色彩であろう。これまで見てきたどの作品よりも鮮やかな(むしろ蛍光に近いような)ピンクが画面を占め、あえて強烈なコントラスを生み出すよう明るい青が配されている。より感傷的な作品世界であるものの、作品を通じて神聖な感情を導き得たかは疑問である。限られた作例ではあるものの、ドニが手掛けた教会装飾を概観した。最初の教会装飾ル・ヴェジネでは、それまでの絵画作品や世俗建築の装飾作品を継承した表現がとられた。つづくアトリエ・ダールサクレ創設以降の20年代は、最も旺盛に教会装飾が行われた時期で、実際、作例も多く宗教芸術家としての評価を確立した時期でもある。しかしながら表現自体はまだ発展途上、試行錯誤の時代であったといえよう。一方30年代中盤以降の作品では、表現が過剰なまでに強調されるようになり、それまでの静かで穏やかな神秘性が失われてしまっている。・宗教美術をめぐる言説つぎにドニの宗教美術に関する言説を確認し、作品との比較を試みたい。ここで参考としたのは1933年に発表されたドニの論文「宗教芸術の現状」である(注10)。ドニは1922年に宗教芸術について述べた『新理論集』を刊行しているが、前者はその後に発表されたものであり、先述の作品を理解する上で重要であると考えた。ドニが宗教芸術と宗教芸術家に求めたのは、表現方法よりもまず聖なる画家として― 376 ―

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