2.アール・サクレ運動におけるドニへの評価とその思想クチュリエはかつてドニのアトリエ・ダールサクレに在籍していたこともあり、宗教芸術を取り巻く状況をよく把握していた。ドニとクチュリエは師弟関係である以上に、例えばドニやデュヴァリエールに『アール・サクレ』誌の編集委員を依頼する、あるいはオーギュスト・ペレをはじめとする共通の建築家を採用するなど、実際にはかなり親しい間柄であった。『アール・サクレ』はその機関誌として機能していたものの、既存の宗教芸術を批判する記事はほとんど見られない。ドニに関する記事は少ないものの、展評や論文のほか、ドニ自身の論文も掲載された(注13)。その中で「モーリス・ドニへのオマージュ」(注14)「1920−1940年を総括する」(注15)「教会装飾─装飾の役割」(注16)の三記事は注目に値しよう。「モーリス・ドニへのオマージュ」では、複数の記者が文章を寄せており、真正のフランス人画家として、優れた人柄と思慮深さ、豊富な知識への深い尊敬が示されている。また穏やかで慎ましい日常生活を描いた絵画世界にあふれる詩性を高く評価している。ここで指摘しなければならないのは、これらがすべて精神性に関する言及である点だ。「1920−40年を総括する」の中でもドニの表現様式が過去の様々なキリスト教美術を連想させる多様な特徴を備えていることから、解説が困難と評されている。それでも信仰と生活と芸術が優れて一致すべきであるという、ドニの芸術理論は適切に理解され、評価されている。一方、「装飾の役割」ではドニの作品が主題を説明的に表現しすぎることなく、適度な神秘性によって見る者に想像させる要素がある、多義的であることが高く評価されており、また愛国的な表現も好意的に記されている。中でもクチュリエは、ドニへの尊敬と憧憬を明らかにした上でドニの作品の精神性を賞賛している(注17)。20世紀の宗教芸術の展開にドニの存在が不可欠であったこと、とくに象徴主義者として精神性が芸術に不可欠であることを指摘し高く評価してい1935年、ドミニコ会士クチュリエ神父とレガミー神父によって雑誌『アール・サクレ(宗教芸術)』(注11)が刊行された。宗教芸術家は信仰生活を送るべきであるとドニが主張したのに対し、クチュリエは信仰の有無にかかわらず、現代の巨匠たちによる芸術を教会の中に導入しようとした(注12)。その表現や主題選択は画家に一任されており、とくに共産主義者のレジェや無神論者のル・コルビュジエの採用は、カトリック教会や教義に忠実な画家たちにとって不誠実なイメージを与えたことであろう。しかし実際にはどのような芸術が推奨されていたのだろうか。『アール・サクレ』誌上で言及されたドニの評価と表現様式について検証する。― 378 ―
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