注⑴飯島虚心著・河鍋楠美監修『河鍋暁斎翁伝』ぺりかん社,1984年,pp. 47−48⑵注⑴に同じ,pp. 48, 63⑶注⑴に同じ,p. 65⑷吉田漱著「東京国立博物館所蔵「御上洛東海道」中の暁斎作品について」『暁斎』3号,河鍋⑼Andreas Marks“When the shogun travels to Kyoto”Andon 81, Aerdenhout, The Netherlands, Societyfor Japanese Arts, 2007, p.536暁斎記念美術館,1980年,p.2⑸望月宏充著「周麿筆『東海道名所之内田子浦蛇松』について」『暁斎』34号,河鍋暁斎記念美術館,1987年,p. 36⑹鈴木浩平著「北斎と暁斎の「狂」について」『暁斎』45号,河鍋暁斎記念美術館,1991年,p.⑺吉田漱著「二人いた周麿」『暁斎』46号,河鍋暁斎記念美術館,1992年,p.5⑻新藤茂著「合筆作品における浮世絵師間の位相〈暁斎と国周と三代豊国と〉」『暁斎』59号,河鍋暁斎記念美術館,1998年,p.5⑽狩野博幸・河鍋楠美著『反骨の画家 河鍋暁斎』新潮社,2010年,p. 123(ただし、『翁伝』では安政5年とある。)⑾注⑴に同じ,p. 48⑿狩野派の古典的題材にも「虎豹図」と称されるものがあるが、こちらも「虎の夫婦」を描いた場面であると解釈されていたようである。⒀注⑹に同じ⒁シリーズ各図の表題は、「東海道」「東海道名所之内」など、特には統一されていない。目録には「東海道名所風景」とある。また、「行列東海道」の別称もある。⒂黒板勝美・国史大系編修会編『続徳川実紀』第4篇(『新訂増補 国史大系』第51巻)吉川弘まず、暁斎の浮世絵制作開始の頃の作として、鯰絵・見世物絵を挙げ、暁斎の報道的絵画制作に対する関心の高まりを見出だした。次に、合作「御上洛東海道」を挙げ、他の絵師達が躊躇するなか、暁斎は筆禍を恐れず、迅速かつ過激な報道や、幕政への痛烈な風刺を行い人気を博したことを指摘した。また、筆禍を回避し得た、彼の鋭敏な才知による表現についても言及した。最後に、合作「江戸の花名勝会」を挙げ、滑稽かつ奇想天外な表現、趣向を凝らした構成の妙などを指摘した。以上のように、この期の暁斎の画業を時間の経過とともに顧みると、のちに大きく開花する彼の個性は、この時期に育まれていったのだということが実感できよう。一方、作品内容の考察に併せ、浮世絵師として使った画号の変化についても言及した。そこには、洒落を交えながらも、狩野派と浮世絵派とのはざまにおいて、自己の置かれた立場を見つめ直そうとする、文久年間当時の暁斎の心境が炙り出されているのではないだろうか。― 391 ―
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