鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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時習軒の門人であり、是真とは同門であった。その縁から是真の作品を蔵するようになったことが知られ、同家にも流祖山田宗編造の「琵琶形香合」を是真が模した作品〔図2〕が蔵されている(注7)。ちなみに、是真は茶箱、茶器、棗、香合、菓子盆などの茶道具を制作している。茶道具には、近年いわゆる「だまし漆器」とよばれる陶磁や金工を模した作品が多く含まれている。その制作は、是真が蒔絵師として地歩を築いた40歳代には始まっており、30代で身につけた変塗の技を応用して制作したとみられる。現存する最も早い作例は、金属の砂張盆を写した「砂張塗青海盆」(個人蔵)〔図3〕で、安政元年(1854)是真48歳のときの作品である。本物と見まごうばかりに精妙に作られた作品で、茶会の席中で客に道具が拝見にだされ、手にした時に漆器であることが種明かしされるという、きわめてウィットに富んだ作品である。伝統的な蒔絵の茶道具にとどまらず、このような作品を提案したのは是真からか、顧客からだったのかは定かではないが、茶会の趣向としての茶道具制作のあり方として、是真と顧客との密接な関わり方がうかがわれる。2.地方の豪農地方にも、是真の顧客は存在していた。直接の交友があったかは定かでないが、地方の豪農とよばれる人々を中心に、作品が伝存している。なかでも特筆される存在が、越後(新潟)の豪農による是真作品の収集である。現在、新潟・中野邸美術館と北方文化博物館に所蔵されている作品は、いずれも同郷の越後の所蔵者から、各々の館を設立した明治の石油王・中野貫一(1846〜1928)と豪農・伊藤家に入った。大橘蒔絵菓子器(中野邸美術館蔵)〔図4〕や、明治14年(1881)の第二回内国博覧会に出品された「扇面蒔絵書棚」(鹿苑寺蔵)〔図5〕の6年後に制作された、同作と酷似した「扇面蒔絵書棚」(北方文化博物館蔵)〔図6〕は、いずれも質の高い作品である。ことに後者の書棚は、豪農・押木源二朗の注文によって制作されたことが知られており、越後の豪農に代表される、地方のきわめて富裕な人々も、是真の有力な顧客であり、注文によって好みの作品を作らせていたことがわかる。3.大名家・明治政府江戸時代、是真の顧客は、士農工商すべてに及んでいた。武家では、先述の幕府用達商人・松本兵四郎をはじめとするほか、丸利、大坂屋などの嚢物商を通じて注文がなされた。― 399 ―

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