鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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①『日本美術年鑑』明治45年=大正元年版、画報社(1913年)(〔表1〕ではAの項目)では、全3059件の採録のうち、北豊島郡は92件。彫刻、日本画、工芸のジャンルが多いようである。文展出品者が17名、巽画会会員が13名、太平洋画会関係者が7名である。ほかに美術研精会、正木直彦を会頭とする吾楽会の会員も散見される。なお、当該年鑑には、東京美術学校の卒業者は28名である。北豊島郡に限らない傾向としては、美術教師として各地に赴任した作家の名前も多く収録されていることがある。出品あるいは所属団体としては、フュウザン会の名前も相当数確認することができたが、住居表示はなされていない場合が多かった。これは大正元年(1912)にフュウザン会展の及ぼした力を伝えるものだろうか。住居を調べるには至らなかったが、美術作家として除外するわけにはいかなかったのだと推測する。②『日本美術年鑑』昭和2年版、朝日新聞社、1926年(大正15年12月5日原本)(〔表1〕ではBの項目)。全1220件のうち、豊島区域に該当するデータは105件。そのうち51人は東京美術学校の卒業者である。またそのうち、14名は文展の出品者である。帝展の出品者も多く(49名)、官設展が大規模に開催されていたことをうかがわせる。文展が帝展に改組されたのが大正8年(1919)で、この時期は両者を併記する場合も多かった。官設展以外では、二科会、院展、中央美術展、円鳥会、1930年協会、春陽会の名前も見え始める。ジャンル別には、洋画34名、彫刻27名、日本画22名。工芸分野も11名を数える。③『日本美術年鑑』昭和11年版、美術研究所、1936年(昭和11年10月27日原本)(〔表1〕ではCの項目)。全1625件のうち、豊島区域に該当するデータは188件。現在「アトリエ村」や「池袋モンパルナス」に関連する作家として認識されている画家の名前が見られ始めるようになる。とはいえ、いわゆる松田改組の翌年のこの年鑑には、官設展あるいは有力団体への出品者、関係者が多く、小さなグループ展に出品していたような画家の名前は少ないと言えるだろう。たとえば尾崎眞人氏監修による『池袋モンパルナスそぞろ歩き 池袋モンパルナスの作家たち〈洋画篇〉』巻末に収録されている人名のうち本表掲載者と重複するのは、熊谷守一、鶴田吾郎、井上長三郎、光安浩行の4名だけである。一方で旧帝展の出品者は80名に上り、太平洋画会の28名、日本美術院の13名、二科の10名、構造社の7名、独立の5名よりはるかに多い。そしてこの時期、ジャンルや所属、出品展覧会にこだわらない作家たちが多くこの地に暮らしていたことがわかる。学者や学際関係が9名。批評や教育関係と分類されている人たちもいる。また、ジャンルとしては洋画54名、日本画46名、彫刻40名、工芸22名。― 409 ―

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