鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
432/625

蔵品として新たなピカソ立体作品を獲得し、将来的により充実したピカソコレクションを形成することを睨んでのことであった。早くも1965年1月初旬にペンローズとニューヨークのバーの間で交わされた手紙からは、バーがピカソに3点の立体作品の貸し出しを求め、それを断られていたことが窺える(注13)。また、1967年のカーンワイラーに宛てた手紙からは、バーが1957年にMoMAで開催されたピカソ生誕75周年を祝う展覧会において既にこの希望を抱いていたものの、ピカソから十分な数の立体作品を借用することができず、購入計画も失敗に終わっていたことがわかる(注14)。展覧会の開催と出品についてピカソから承諾を得た後、ダノンコートは自館に所蔵されているピカソの立体作品をリスト化し、具体的な展示プランの作成に取りかかった。そしてここで明らかになったのが、MoMA所蔵のピカソ立体作品の数があまりにも少ないという問題であった。「ピカソ彫刻展は大成功で、われわれはみな、忙しさに少しふらふらしています。(…)先週、美術館の収蔵品検討委員会と評議委員会の会議があり、そこでこの展覧会からいくつかの作品を買い上げることが検討されました。(…)ピカソが、自分の持っている作品を我々に譲りたくないと考えていることはわかっています。しかし、我々は皆この展覧会にあまりに深く感銘を受けており、たとえたったひとつしか手に入れられないとしても、これらの作品を獲得する努力を放棄するわけにはいかないのです。私は、MoMAが他の美術館に比べてもより完璧なピカソの立体作品のコレクションを有していると思っていますが、この展覧会でもはっきりと示されたように、7点の作品だけでは、立体というメディアにおけるピカソの驚くべき広がりと独自性を示すことはできないのです。」(注15)ダノンコートを何よりも強く突き動かしたものは、自らが展示した200点にも及ぶ革新的な立体作品群の持つ力であった。なんとかしてこの優れた作品をフランスへ返さずに済まないか、ニューヨークへと留めておくことはできないかと、ダノンコート1967年10月、ついに展覧会“The Sculpture of Picasso”が開幕した。《ギター》のコンストラクション2点を含む立体作品204点、陶器30点、ドローイングやコラージュなどの平面作品48点が展示された。10月27日にダノンコートからピカソの画商、ダニエル=ヘンリー・カーンワイラーに宛てられた手紙には、この展覧会によってMoMAの新たなビジョンが誘発されたことが記されている。― 421 ―

元のページ  ../index.html#432

このブックを見る