鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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注⑴ 本稿で取り上げる展覧会名“The Sculpture of Picasso”をはじめ、Sculptureは「彫刻」と訳されることが通常であるが、ピカソの立体作品は彫刻に留まらない様々な形態を持つ。よって本稿ではこれらの総称として、立体という訳語を使用した。⑵ パリ・グランパレ、プチ・パレを会場とし、1966年11月19日から1967年2月12日まで開催。⑶ ロンドン、テートギャラリーにて1967年7月9日から8月13日まで開催。⑷ ニューヨーク近代美術館にて1967年10月1日から1968年1月1日まで開催。⑸ MoMAでの展覧会のオープニングには、ニューヨークに居住していた彫刻家たちがリストアッ(〔図3〕参照)の優先順位は入れ違いとなってもよいと言うことを、提案します。」(注24)ピカソが1960年代以降、つまり当時にあってほぼ同時期に制作していたこれらの金属板と折りの構造によって表現された最新作が、記念碑的な作品《ギター》とほぼ等しい評価を獲得していたことには、驚きを禁じ得ない。展覧会の開催を報じるニューヨークタイムズ紙にも、《ギター》の内の一つと《椅子》(1951年制作)の写真が並べて掲載されている〔図13〕(注25)。過去に出発点を置きながらも、新たな展開と飽くなき進化を感じさせるこれらの作品こそが、展覧会のメインビジュアルとしてふさわしいと判断されたのであろう。グリーンバーグがその作品を自己模倣だと批判した十年前に、ピカソはすでにこの革新に到達し、なお新たな作品を作りつづけていた。アトリエの目撃者たちは、それを沈黙のうちに証明したのである。以上、MoMAに残された文書から、展覧会“The Sculpture of Picasso”の実施を通し、戦後ピカソの立体作品がいかに受容されたか、その一端を明らかにした。同展覧会は、現存する巨匠の制作をクロノロジカルに振り返るばかりでなく、最新の制作を紹介し、それを評価することによってこれまでの美術史をこれからの美術史に繋げていく、そのような意義を担うものであった。また同時に、実施館であるMoMAの新たなコレクション拡充の道を拓いたという点においても意義深いものであっただろう。そしてそれらを可能にしたのは、あくなき探求のもとに生み出され続けた作品そのものが持つ輝きと、それに魅了された人々の努力に他ならない。作家とキュレーター、美術館組織、観客といった様々な要因が、作品によって強く結びつけられるこの展覧会という営為そのものが持つ意味の大きさを、改めて考えさせる記録であるともいえるだろう。― 426 ―

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