の第一会を相開き申すべくにつき有志の諸君ハ何卒御出席下され度候敬白(『写真新報』第3号、明治22年(1889)4月25日)日本写真会録事日本写真会ハ其第一相談会を去る十日虎ノ門内学習院に於て開き来会者三十余名にて種々の相談をなし先づ会規の概略を定め次に会長一名副会長二名書記二名委員二名会計一名を撰挙することに決し其撰挙ハ次の通常会に於てなすことに決定し終りて退散したり第一通常会ハ本月廿二日午後三時三十分より築地三十三番館に於て開き会するもの内外人を併せ四十余名本会の発起人ウエスト君仮りに会長の席に就き前会に於て相談したる規則の決定をなさんと需め各会員ハ各其意見を述べ多少の修正をなし遂に規則十二ケ條を定め終りて更らに役員の撰挙をなし左の諸氏当撰承諾したり副会長 ドクトル、ビゲロー君 理学博士 菊池大麓君書 記 ダブリユ、ケーバルトン君 石川巌君委 員 博士シーデーウェスト君 小川一眞君会 計 浅沼藤吉君右終りてバルトン君ハ次会に於てなすべき趣向は会員相携へて大森近傍の海浜に遊び各撮影せんか或は今般日本に於て始めて小川一眞君が英国より取寄せたるプラチナタイプ(白金印画写真)の実験説明をなさんか何れにても会員の望むところに従ハんと発言せしに多数の同意を以てプラチナタイプの実験をなさんことに決し其実験説明を小川一眞君に嘱託したり(『写真新報』第4号、明治22年(1889)6月3日、31頁)日本写真会広告来ル七日午後四時ヨリ木挽町商工会ニ於テ日本写真会発会式挙行候ニ付当日来会致度諸君ハ前以テ同会委員小川一眞氏(日本人ハ)併ニ「ウエスト」氏(外国人ハ)方エ御通知相成リ候エバ両氏ヨリ入場代リニ名刺相渡シ可申候ニ付此段広告仕候也(『写真新報』第4号、明治22年(1889)6月3日)― 437 ―
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