鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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性を越えて、「悪い女」に対して抱く不安のイメージを強調していったのではないだろうか。3.後期宮廷様式における「愛」の教訓画との関連クラーナハの〈メランコリー〉図像における有翼の女性擬人像は、シリーズ内でも大きな変化がみられないものである。「野蛮な狩猟」の図像の採用と同時期に新たな女性表現が描かれるようになったことが、「頬杖をつく」という伝統的なメランコリーの擬人像とは異なる図像が生み出された要因ではないだろうか。つまり、サトゥルヌスの支配下に置かれたメランコリー的人物─天才的な芸術家と憂鬱に襲われた無気力者─から引き離され、むしろ「悪い女」の側面が強調されているようである。ミソジニーの伝統は、テルトゥリアヌスや聖ヒエロニムスなど初期キリスト教の禁欲主義から後代にまで長く引き継がれたものであった。反抗的、強い虚栄心、おしゃべりなどの特徴を持つ「悪い女」はエヴァに連なるものとみなされ、悪魔の欺瞞を見破れず、男性を性的魅力で惑わせて堕落へ導いてゆく。ミソジニーの伝統は、ルター教義の浸透と共に高まり、死や悪魔と結託する女性像は、魔女の図像学的伝統へと引き継がれてゆく(注18)。そして、ウェヌスや三美神などキリスト教の枠組みに収まらない古代から継承された女性表現は、15−16世紀ドイツの人文主義者たちによってキリスト教の規範の中で再解釈されていった。1520年代前半までにクラーナハが制作した主題には、聖母子や聖女の図像が多くみられる。フリードリヒ賢明公の聖遺物コレクションや聖人崇敬、マリア信仰などが注文や作風に反映されたのである(注17)。それに対し、賢明公の死後選定候となったヨハン堅忍公の統治期間(1525−1532)になると、宮廷婦人や裸体像、そして「悪い女」を主題とした作品がそれらに取って代わっていった。これはちょうど、聖像破壊運動を経て宗教画の主題が従来とは大きく異なり、ルター教義を新たな表現として採用した時期である。この1530年前後に主に描かれたのは、《ウェヌス》《ヘラクレスとオンファレ》《不釣合いな恋人》などで、これらは後期宮廷様式の主なレパートリーである。そしてこの時期の作品には、ミソジニー(女嫌い)の伝統との密接な関連性が指摘できるような、観者に誘惑の危険性を警告する機能が備わっている。1530年以降の主要レパートリーとなった作品のうち、《ウェヌスと蜂蜜泥棒のクピド》や《ヘラクレスとオンファレ》〔図13〕は、鑑賞者への教訓の呈示という性質が強く出ているだろう。前者は、偽テオクリトスの詩をもとに制作され、蜂の一刺しによる苦痛から肉欲に溺れることの危険性をうたったものである(注19)。後者のエピ― 449 ―

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