鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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グラム「それほど堕落した肉欲は、この傑出した人物の精神を虜にし、女々しい愛によって、高潔な人物もすっかり骨抜きになってしまった」という表現は、1532年の「野蛮な狩猟」の貴人〔図7〕と同じ状況であり、恋愛の虜になった英雄の失墜を表している。これらの教訓画と同時期に制作された〈メランコリー〉もまた、同じような位置づけが可能と思われる。クラーナハは有翼の女性擬人像をデューラー作品に依拠しつつも、むしろ〈フラウ・ウェヌス〉と〈フォルトゥーナ〉の性質を強調して描いているのではないだろうか。前者は、セバスチアン・ブラントの『阿呆船』〔図14〕に登場しているが、そこではウェヌスの裸体美は失われ、代わりに男性に愚かな愛をそそのかす性愛の象徴とした北方的解釈に基づくものである。よって4作中3作に共通する球も、幾何学を強調するものというよりは、フォルトゥーナのアトリビュートととらえることもできるのではないだろうか。ルネサンスにおいて、幸運のはかない特徴は小さな球の上でバランスを取る女性像に象徴されることが多かったが、それ以外の表現もみられる。例えば、デューラーの《博士の夢》〔図15〕では床の上に転がる球が見られ、ハンス・ブルグマイアーの1510年の木版画《ウェヌス》〔図16〕では、目隠しをしたクピドが球の上でバランスをとっている姿が描かれている。〈メランコリー〉シリーズにみられる球の意味づけは、1528年作と「赤のメランコリー」では女神に見放され、《博士の夢》と同じような扱いを受けているが、「灰色のメランコリー」ではクピドにもてあそばれる運命とみることができるだろう。また、シリーズ内で女性が削る棒は、《ウェヌス》やブルグマイアー以後の〈フォルトゥーナ〉を扱った作品に描かれるウェヌスの持つ矢である可能性も出てくる。さらにそれを強めるのが、1532年版に描かれる山鶉の番で、これはウェヌスのアトリビュートともみなされている。このシリーズをサトゥルヌスよりもむしろウェヌスと結びつけるのは、ハーサントやズィカなどの研究でも試みられてきた(注20)。2つの1532年作にみられる宮廷人を囲んだ魔女の群れ〔図7〕は、中世のタンホイザー伝説と関連づけられている(注21)。中世の『タンホイザー』の物語では、タンホイザーが快楽を味わい、教皇の赦免を得られずに戻ってくる「ウェヌスの山(Venusberg)」は、ウェヌスとそのお付の女性たちが支配する「愛の園」であるとされる。ここではワインや果物等が載ったテーブルが置かれて、恋人たちがその周りで睦みあっている。クラーナハの〈メランコリー〉のモチーフに着目すると、15世紀以来木版画などでみられる快楽的な愛をテーマにした作品との共通性も見られる。例えば果物の大皿や杯は、《愛の園》や娼館のテーブルの上に見られるもので〔図17〕、同様の表現が《三組の不釣合いな恋人》〔図― 450 ―

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