⑶Friedländer, M. & Rosenberg, J., Die Gemälde von Lucas Cranach, Stuttgart, 1989, p. 124⑷Stadtlober, Margrit, Der Wald in der Malerei und Graphik des Donaustils, Wien, 2006, pp. 105−121⑸Oznet, S., op.cit., pp. 160−172⑹Hersant, V., “Rote Melancholie”, Clear, Jet. et al., op.cit., pp. 110−117, Brinkmann, B., et al., Cranach,注⑴Koepplin, D., Folk, T., Lucas Cranach; Gemälde Zeichnungen Druck Graphik Band1, Basel, 1974, p. 292⑵デューラーとクラーナハの両作品について、メランコリー観の違いという観点から分析した以下に代表的な論文をあげておく。R・クリバンスキー、E・パノフスキー、F・ザクスル『土星とメランコリー 自然哲学、宗教、芸術の歴史における研究』田中英道監訳、榎本武文、尾崎彰宏、加藤雅之訳、晶文社、Clear, Jet. et al., Melancholie, Genie und Wahnsinn in der Kunst, Berlin,2006, pp. 54−125, Koepplin, D., Folk, T., op.cit., Oznet, S., The serpent and the lamb: Cranach, Lutherand the making of the Renaissance, Yale University, 2011, Panofsky, E., The Life and Art of ArbrechtDürer, Princeton 1945/1955(E・パノフスキー『アルブレヒト・デューラー 生涯と芸術』中森義宗他訳、日貿出版社、1984年)、Schleiner, W., Melancholy, Genius, and Utopia in the Renaissance,Wiesbaden, 199118〕にもみられる。つまり、頬杖をつくという図像学的伝統を離れることにより、新たなメランコリーの解釈が可能となるのだろう。このシリーズが教訓画として組み込まれることにより、他の1530年前後の作品と同様に快楽への戒めを示す「悪い女」の意味づけが可能となってくるのだろう。おわりに元来メランコリーは独立した概念ではなく、古代の医学的な見地から定義された四気質のうちの一つを占めるものに過ぎなかった。しかし時代が進むにつれ、それは時代の思想や社会状況を反映した突出した概念へと発展してゆく。1514年の《メレンコリアⅠ》と1528年以降の4作の違いは、制作時期の社会状況や思想の受容によるものである。つまり、メランコリーの図像は、時代のバロメーターとしての機能もあるのだろう。人文主義者やルター主義におけるメランコリー観を反映しつつも、クラーナハは15世紀後半から作り上げられてきたイメージを利用し、それを独自の作風で印象を一変させてしまう。デューラーの理想への飽くなき直情的な思いとは逆に、クラーナハは人間の根源にある矛盾を認識し、その表裏一体性を巧みに描いて見せたのだ。男性と女性のそれぞれの弱さと強さを知っているからこそ生み出したさかしまな世界は、「愛のメランコリー」という新たな視点であると思われる。― 451 ―
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