・ Colette Manhes-Deremble, Les Vitraux narratifs de la Cathédrale de Chartres, étude iconographique,l’Ecole des Hautes Etudes en Sciences Sociales), Paris, 9 Juin 1989; esp. Vol.1, pp. 137−143.・ 三浦アンナ『藝術に現れたヨハネ』岩波書店、1954年。なお近年シャルトルの個別研究として興味深い視点で聖ヨハネ伝の窓を論じた次の著書が刊行されている。Cf. Sophia-Janet Aleemi, Johannes der Evangelist in der Kathedrale von Chartres,Stuttgart, 2011.⑶同定には多くの困難が伴う。原則としてCorpus Vitrearumに従うが、一部例外もある。⑷《聖ヨハネ伝の窓》に関する研究で基本となるのは以下二つの研究である。⑸次の2か所:Lisieux大聖堂、TroyesのSaint-Urbain聖堂を今回加えて『カタログ』にまとめることができた。特にLisieux大聖堂の2場面はペロ先生とご一緒できた旅でもあり、現地での‘邂逅’の喜びもひとしおであった。⑹聖ヨハネ;キリストの12使徒の一人で福音書記者。最も若く主に愛された弟子で「最後の晩餐」に際して主の胸にもたれかかる姿で描かれることが多い。「磔刑」では聖母と共に十字架の下に立ち、主の受難にあたっては聖母を迎えるよう促され、キリスト昇天後はペテロと共に活動し、後にドミティアヌス帝統治下で「黙示録」を書いた。帝の没後エフェソスへ帰還し第4福音書を書いた。現代の聖書学では「黙示録」と「福音書」の著者は別人とされるが中世にはこれを同一視していた。ヨハネの生涯について13世紀後半ドミニコ会士ヤコブス・デ・ヴォラギネ著『黄金伝説』に詳しい。しかしシャルトルの窓はこれに先んじる。半世紀以上も前の作例。ヨハネについて以下の著作参照。・ Jean Colson , L’Enigme du Disciple que Jésus aimait, Paris, 1969.・ Jeffrey F. Hamburger, St. John the Divine, the Deified Evangelist in Medieval Art and Theology,⑺「ヨハネ黙示録」は一連の幻視により構成される。小アジアの7教会に送る書簡の口述で開始(1〜3章)。天使7人が登場し天からの啓示が付与(4〜16章)、バビロンと異教の国々の滅亡(17〜18章)、天上で子羊の婚宴と最後の審判の幻視(19〜20章)。「天上のエルサレム」が天から下り、万物の支配者としての神と子羊が光をもたらし、諸国民の栄光と誉れが都にもたらされる。古い契約の終わりが告げられ、新たな契約の始まりが語られる。「私はすぐに来る」と主の声があり、これに呼応する形で著者ヨハネはアーメン、主よ来て下さい」と答えて黙示録は終わる(22章20節)。⑻目次:第Ⅰ部 シャルトル大聖堂の《聖ヨハネ伝の窓》/シャルトル大聖堂の聖ヨハネ/《聖ヨハネ伝の窓》 第Ⅱ部 カタログ《聖ヨハネ伝の窓》/アンジェ大聖堂、オーセール大聖堂、バイィ礼拝堂、ブールジュ大聖堂、クータンス大聖堂、リンカン大聖堂、リズィユー大聖堂、リヨン大聖堂、パリ、サント・シャペル礼拝堂、ランス大聖堂、サン・ジュリアン・デュ・ソー旧参事会聖堂、サンス大聖堂、トゥール大聖堂(その1)、トゥール大聖堂(その2)、トロワ大聖堂、トロワ、サン・テュルバン聖堂(計17作例)ト・シャペル、トロワのサン・チュルバン聖堂のステンドグラスに好例が見られるという。⑽拙稿ではこの場面の解釈に異議を唱えている。cf. 高野「シャルトル大聖堂のステンドグラス《Baie48:聖ヨハネ伝の窓》─その5─」『清泉女子大学紀要』第60号、2012年12月、pp. 89−Corpus Vitrearum, France Etude II, 1993, pp. 182−190.・ Id., Etude iconographique des verrières basses de la Cathédrale de Chartres (Thèse de Doctrat deUniversity of California Press, 2002.⑼Claudine Lautier氏によると外付けグリザーユはパリの国立中世美術館蔵《死者の復活》やサン― 464 ―
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